オスマン帝国の石炭輸送船団
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「ケフケン島沖海戦 (1915年8月)」の記事における「オスマン帝国の石炭輸送船団」の解説
1915年の夏のあいだ、オスマン帝国は石炭を積んだ何隻かの輸送船をゾングルダクの炭鉱地区から首都イスタンブールへ送ることに成功していた。これに対してロシアも手をこまねいてばかりいるわけではなかった。 8月16日にも、オスマン駆逐艦「ヌムーネイ・ハミイェト」は3 隻の輸送船「エレソス」、「イッリルヤ」、「セイフン」を護衛し、ゾングルダクへ入港した。輸送船は、10000 t近くの石炭を積載することになっていた。積荷の積載作業中に、ロシア国内では勇猛で知られたV・V・トルベツコーイ海軍大佐指揮下のロシアの艦隊水雷艇「ブィーストルイ」と「プロンジーテリヌイ」が港へ接近を試みた。しかしながら、掩蔽防波堤によって行く手を遮られた艦隊水雷艇は蒸気船を砲撃することができず、このときはただ示威的に北へ走り去った。オスマン船団は無事に石炭の積み取りを終えた。 この頃には、ロシアは水上艦艇以外に、新しい潜水艦隊の活動を従前に増して活発化させていた。8月21日には、潜水艦「ネールパ」がケフケン島とボスポラス海峡のあいだの海域に到着し、同海域で警戒に当たっていた潜水艦「チュレーニ」と交替した。
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