オスマン帝国の支配とギリシャ独立戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 23:42 UTC 版)
「コリントス」の記事における「オスマン帝国の支配とギリシャ独立戦争」の解説
コンスタンティノープルの陥落から5年後の1458年、オスマン帝国はコリントスの都市と城砦を征服した。トルコ人たちはコリントスの地名を Gördüş(Gördes)と改め、ルメリ州(南バルカン地域)のペロポネソス半島地区を統治するモレアのサンジャク(県)の中心地とした。 1687年、ヴェネツィア人がこの地を占領し、1699年にはカルロヴィッツ条約でヴェネツィア共和国の領域に入るが、1715年にオスマン帝国がふたたびこの地を獲得した。1715年から1731年まで、この地はモレア州の首府となり、1731年から1821年まではサンジャクの中心地となった。 1821年~1830年のギリシャ独立戦争時、トルコ軍によって都市は完全に破壊された。1832年のロンドン条約(英語版)によってコリントスは正式に解放された。1833年、新たに建国されたギリシャ王国の新首都(当初はナフプリオを首都としていた)の候補に、コリントスはその歴史的な重要性と戦略上の立地から挙げられた。結局、新たな首都にはその当時は重要ではなかったアテネが選ばれた。
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