内部衝突、ボスコ・ンタガンダの投降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 00:58 UTC 版)
「3月23日運動」の記事における「内部衝突、ボスコ・ンタガンダの投降」の解説
2013年2月25日、和平合意の取り扱いをめぐる不和が原因となって、M23内の派閥間で暴力事件が起こった。M23の政治部門のリーダー、ジャン=マリー・ルニガ・ルゲレロは解任された。M23の軍事部門のリーダー、スルタニ・マケンガは、自身の署名入り声明の中で、ルゲレロを「資金の横領、派閥の分離、民族的憎悪、欺瞞、政治的未熟さ」による裏切りだと非難している。マケンガは自分が臨時的にリーダーになる旨の宣言を出し、マケンガに従う者と、ルゲレロ(M23の創設者ボスコ・ンタガンダと連携している)に忠誠を誓う者との間で衝突が生じ10人が死亡、他2名が病院送りになったと述べた。M23は、この衝突が不満分子によるものであることを否定している。 その後、週末から3月18日にかけて再びゴマの北40kmで、M23の派閥間の戦闘が発生し、ンタガンダ派は敗北した。ンタガンダ派の兵士数百人がルワンダへ逃げたり国連平和維持部隊へ投降した。その後ンタガンダの所在は不明だったが、2013年3月、キガリのアメリカ大使館に出頭し、自分を国際刑事裁判所(ICC)へ移送するように求めた。2013年3月22日、ンタガンダはICCの職員に付き添われてキガリを出発、ハーグにあるICCの収監施設へ移送された。ンタガンダは自ら投降して収監された例としてはICCにとっては初めてのケースである。3月26日、ンタガンダはICCの法廷に初めて姿を現し、人定質問等が行われた。また、予審を2013年9月23日から開始することも公表された。 2013年3月28日には国際連合安全保障理事会決議2098により国連初の目標を絞った平和執行部隊である強制介入旅団(FIB)が設置され、国連による本格的な武力介入が始まった。 M23の残存兵力は、スルタニ・マケンガ大佐指揮の元で活動を続けていたが、2013年10月25日、政府軍の攻撃を受け、ゴマ郊外から北方80km付近の丘陵地帯へ移動。同年11月3日には国連軍の支援を受けた政府軍の最終攻撃が行われ、翌々日の5日には戦闘が終了。政府側は勝利宣言を出した。敗走したM23の兵士らは、隣国ルワンダへ向ったと見られている。 2019年11月7日、ハーグの国際刑事裁判所は、ンタガンダに対して戦争犯罪や人道に対する罪で禁錮30年の実刑を言い渡した。
※この「内部衝突、ボスコ・ンタガンダの投降」の解説は、「3月23日運動」の解説の一部です。
「内部衝突、ボスコ・ンタガンダの投降」を含む「3月23日運動」の記事については、「3月23日運動」の概要を参照ください。
- 内部衝突、ボスコ・ンタガンダの投降のページへのリンク