政府軍の攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 03:07 UTC 版)
折しもイラン・イラク戦争や前年のイスラエルによるイラク原子炉爆撃事件に国際社会の関心が集まり、大規模な武力鎮圧を実行しても欧米や周辺諸国のシリアへの介入は無いと判断したハーフィズ・アル=アサドはこの期にムスリム同胞団を殲滅する事を決断、革命防衛隊・特殊部隊・空軍及びムハバラートへ作戦命令を下達し、リフアトの率いる革命防衛隊を中心とした地上部隊とムハーバラートを街に向かわせた。攻撃前に街には降伏が勧告され、同時に市内に残っているものは誰であろうと反逆者とみなすという警告がおこなわれた。作家のパトリック・シールによれば「党関係者もハマーに送られたパラシュート部隊も皆が今度こそイスラム主義者の闘争心を街から奪い去らねばならないということを理解していた。たとえどんな犠牲を払ってでも…」と作戦に参加した政権側の将兵へは最高司令官ハーフィズ・アル=アサドの目標がムスリム同胞団の完全な殲滅である事を理解・徹底させていたという。12,000人の軍隊が包囲する中、ハマーでの戦闘は3週間続いた。「街の奪還」は1週間で終わり、残りの2週間は「反逆者狩り」に費やされた。ロバート・フィスクは「この国に哀れみを」の中で、戦車を擁する部隊が街の包囲を開始するため郊外に終結しつつあるときに市民がどのようにハマーから脱出したかについて記述している。このとき彼が引用しているのは死者の多さ、脱出する市民と兵士に水と食糧が不足していることを報告する文書である。 アムネスティ・インターナショナルによれば、シリア軍は狭い街路を通る歩兵や戦車の侵入を容易にするため上空から旧市街中心部に爆撃を行っている。建築物の類は戦闘が始まって4日で戦車部隊によって破壊され、街の大部分が廃墟となった。政府軍がシアン化水素を使用したという報告もあるが、これは根拠がない。内部で激しい抵抗を受けたリフアトの軍隊は、街の包囲を行い3週間に渡って砲撃を加え続けた。 最初の攻撃の後で、政府軍と治安部隊が派遣され、がれきの下までムスリム同胞団のメンバーと支持者の捜索が行われた.。反逆容疑をかけられた者の拷問と大量処刑が行われ、数週間で死者は数千人に及んだ。旧市街の地下にある坑道にまだ反乱者が隠れていると当たりをつけたリフアトは、ディーゼル燃料をポンプで送り込んで炎上させ、坑道の入り口に待機させていたT-72戦車にそこから脱出しようとする人間を砲撃させた。
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