会津編
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 00:53 UTC 版)
1865年、アメリカ合衆国では南北戦争が終結。不要となった武器の多くが日本へもたらされることとなる。そして明治元年(1868年)、それらを装備した新政府軍の攻撃にさらされる会津若松城の中に、最新式のスペンサー銃を手に抗戦する一人の女性がいた。山本八重、後の新島八重である。 時は遡って幕末、諸外国からの開国要求が高まり、日本国内は開国派、攘夷派などの思想の違いによる分断が起きようとしていた。この時代の転換期に、会津藩の砲術師範の家に生を受けた八重は、藩軍備の洋式化を目指す兄・山本覚馬や、その友である洋学者・川崎尚之助らの側で、会津地方そして日本の変化を感じていた。 幕末の争乱により治安が悪化する京都警護のため、会津藩主・松平容保が京都守護職に指命され、徳川将軍家への忠義を尽くさんと、会津は藩を挙げて倒幕派追討への動きに加わることとなる。それは後にいわれる「会津の悲劇」の序章であった。
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