会津美里町指定文化財とは? わかりやすく解説

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会津美里町指定文化財

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/07 10:38 UTC 版)

伊佐須美神社」の記事における「会津美里町指定文化財」の解説

重要文化財有形文化財黄金1枚工芸品室町時代の作と見られる金色の扉。大きさは縦161.8センチメートル、横55センチメートルで、厚さ3.8センチメートルである。扉は古代扉よりは小型ながら豪華なもので、元は本殿の扉であった推定される庶民信仰者の力のみによるこの扉の製作は考えられず、領主からの多大な支援の存在があったと指摘される古文書では、文亀3年1503年)の社殿焼失を受け、永正11年1514年)に蘆名盛高・盛滋父子願主となって社殿再建したと見えるが、この扉はその時の作と推定される。その社殿天明3年1783年)に焼失しているが、その際に難を逃れたと見られる。現在は宝物殿所蔵・展示されている。昭和49年3月1日指定古代1枚工芸品室町時代の作と見られる扉。金銅椿朱漆の扉で、大きさは縦173センチメートル、横49.5センチメートルで、厚さ6センチメートルである。元は本殿内陣使用された扉と推定される黄金扉同様、永正11年1514年)の再建時の扉で、天明3年1783年)の火災で難を逃れた推定される。現在は宝物殿所蔵・展示されている。昭和49年3月1日指定華表 1対(工芸品鉄製華表鳥居の意)。円筒形あり内部は空洞で、大きさ全長193センチメートル円筒196センチメートル。『会津旧事雑考』によると、明応元年1492年10月26日長嶺越中という人物建てたといい、両があるも虹梁はないという。『新編会津風土記』にも記載見えるが、これらの文献から鳥居の足を差し込んで使用する筒であると推測される一方で、これらは灯籠壊れた後のであるとする伝えもある。平成6年4月1日指定日本紀竟宴和歌 1巻古文書江戸時代紙本墨書和歌全長5.5メートル前文服部安休、和歌吉川惟足後書水野清雄の3人の筆跡になる。寛文10年1670年8月17日会津藩主の保科正之家臣神官42人を集め城内服部安休による「日本紀神代巻」の講義開いた際、講義後の祝宴竟宴)で講義内容詠んだ和歌記したのである。この時42人は和歌1人漢詩詠んでいる。昭和49年3月1日指定重要無形民俗文化財太々神楽 - 昭和50年3月25日指定史跡伊佐須美神社奥宮の地 - 昭和44年6月20日指定天然記念物薄墨桜 - 昭和46年4月1日指定昭和57年9月13日福島県緑の文化財に登録。 伊佐須美神社社叢 - 平成6年4月1日指定昭和57年9月13日福島県緑の文化財に登録。

※この「会津美里町指定文化財」の解説は、「伊佐須美神社」の解説の一部です。
「会津美里町指定文化財」を含む「伊佐須美神社」の記事については、「伊佐須美神社」の概要を参照ください。

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