会津美里町指定文化財
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「伊佐須美神社」の記事における「会津美里町指定文化財」の解説
重要文化財(有形文化財)黄金扉 1枚(工芸品)室町時代の作と見られる金色の扉。大きさは縦161.8センチメートル、横55センチメートルで、厚さ3.8センチメートルである。扉は古代扉よりは小型ながら豪華なもので、元は本殿の扉であったと推定される。庶民や信仰者の力のみによるこの扉の製作は考えられず、領主からの多大な支援の存在があったと指摘される。古文書では、文亀3年(1503年)の社殿焼失を受け、永正11年(1514年)に蘆名盛高・盛滋父子が願主となって社殿を再建したと見えるが、この扉はその時の作と推定される。その社殿も天明3年(1783年)に焼失しているが、その際に難を逃れたと見られる。現在は宝物殿に所蔵・展示されている。昭和49年3月1日指定。 古代扉 1枚(工芸品)室町時代の作と見られる扉。金銅椿文朱漆の扉で、大きさは縦173センチメートル、横49.5センチメートルで、厚さ6センチメートルである。元は本殿の内陣に使用された扉と推定される。黄金扉同様、永正11年(1514年)の再建時の扉で、天明3年(1783年)の火災で難を逃れたと推定される。現在は宝物殿に所蔵・展示されている。昭和49年3月1日指定。 鉄華表 1対(工芸品)鉄製の華表(鳥居の意)。円筒形であり内部は空洞で、大きさは全長193センチメートル、円筒周196センチメートル。『会津旧事雑考』によると、明応元年(1492年)10月26日に長嶺越中という人物が建てたといい、両柱があるも虹梁はないという。『新編会津風土記』にも記載が見えるが、これらの文献から鳥居の足を差し込んで使用する筒であると推測される。一方で、これらは灯籠が壊れた後の柱であるとする伝えもある。平成6年4月1日指定。 日本紀竟宴和歌 1巻(古文書)江戸時代、紙本墨書の和歌。全長5.5メートル。前文は服部安休、和歌は吉川惟足、後書は水野清雄の3人の筆跡になる。寛文10年(1670年)8月17日に会津藩主の保科正之が家臣・神官ら42人を集め、城内で服部安休による「日本紀神代巻」の講義を開いた際、講義後の祝宴(竟宴)で講義内容を詠んだ和歌を記したものである。この時42人は和歌、1人は漢詩を詠んでいる。昭和49年3月1日指定。 重要無形民俗文化財太々神楽 - 昭和50年3月25日指定。 史跡伊佐須美神社奥宮の地 - 昭和44年6月20日指定。 天然記念物薄墨桜 - 昭和46年4月1日指定。昭和57年9月13日に福島県緑の文化財に登録。 伊佐須美神社社叢 - 平成6年4月1日指定。昭和57年9月13日に福島県緑の文化財に登録。
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