にいじま‐やえ〔にひじまやへ〕【新島八重】
新島八重
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新島 八重(にいじま やえ〈やゑ〉、弘化2年11月3日(1845年12月1日) - 昭和7年(1932年)6月14日)は、江戸時代末期(幕末)から昭和初期の日本の教育者、茶道家。同志社創立者の新島襄の妻として知られる。旧姓は山本。一部の手紙などでは「八重子」と署名してあることから、史料によっては新島 八重子と書かれる場合もある。勲等は勲六等宝冠章。皇族以外の女性としてはじめて政府より受勲した人物である[2]。
脚注
出典
- ^ a b c d 新島八重×同志社女子大学
- ^ 歴史秘話ヒストリア「明治悪妻伝説 初代“ハンサムウーマン”新島八重の生涯」
- ^ 野口信一. “山本八重子と会津の精神風土(平成21年12月12日)、190頁” (PDF). 同志社大学. 2022年3月15日閲覧。
- ^ 鈴木(1998年)
- ^ みんゆうNet 会津の華は凜として - 新島八重の生涯 - - 福島民友新聞社
- ^ 山村竜也 (2022年9月24日). “【幕末こぼれ話】綾瀬はるかが演じた会津の女スナイパー・山本八重とは?”. Yahoo! JAPAN. 2022年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月24日閲覧。
- ^ 村瀬学 (2013年2月15日). “八重の持っていた「銃」について”. 同志社女子大学. 2022年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月24日閲覧。
- ^ あさくらゆう 『川崎尚之助と八重』 知道出版 (2012年)
- ^ “新島八重の米沢居住に裏付け 市立図書館で新史料見つかる”. 山形新聞. 2015年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月4日閲覧。
- ^ 『総合資料館だより』175号、京都府立総合資料館、2013年4月1日、3頁 。
- ^ ボラー(2007年)、41-42頁
- ^ 『日本キリスト教歴史大事典』1018頁
- ^ a b 歴史秘話ヒストリア「“ハンサムウーマン”がゆく 新島八重 不屈の会津魂」
- ^ 『新島襄 人と思想』・晃洋書房」より
- ^ a b c 『我が交遊録』 - 国立国会図書館デジタルコレクション p326
- ^ a b c 新島八重×同志社女子大学 · 新島八重の生涯 · 八重を学ぼう、八重に学ぼう; 第III期 日本のナイチンゲール―会津魂再び|同志社女子大学 本学サイト
- ^ a b “叙任及辞令・明治29年12月25日”. 官報 (内閣官報局). (1897年1月4日) 2013年8月11日閲覧。
- ^ 澤村[2013:111]
- ^ 同志社大学新島遺品庫 目録番号1991の「門弟許可状」および1992の「池坊門弟席名木札(新島八重名儀)」
- ^ 『会津の華は凛として 新島八重の生涯 第53回八重が伝えようとしたもの』福島民友新聞
- ^ 「美徳以為飾」をめぐって(改訂版)|表象文化学部|教員による時事コラム|同志社女子大学 本学サイト
- ^ 新島八重マスコットキャラクター「八重たん」(福島県観光交流課)
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