暴動鎮圧
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/19 15:12 UTC 版)
暴動鎮圧(ぼうどうちんあつ Riot control)とは、暴動やデモ活動を行なっている群衆を、強制的に鎮圧・制圧もしくは解散させることである。
概要
警察をはじめとする法執行機関のみならず、大規模な暴動・デモの場合は、準軍事組織や軍隊も鎮圧に投入されることがある。警備・鎮圧部隊は群集に対抗するため集団で行動し、投石・火炎瓶等への防護としてヘルメット・ボディアーマー・盾(ライオットシールド)等を装備している。鎮圧に際しては、警棒や放水銃、ゴム弾、催涙ガス[1]をはじめとする非致死性の武器を用いる[2]が、それでも鎮圧が困難な場合は実弾の発砲が行なわれるケースもある。また、情報のコントロールや首謀者捜査のため、カメラ等での記録も求められている[2]。
各国の主な警備・暴動鎮圧部隊
- 日本
- フランス
- 他
脚注
- ^ 化学兵器禁止条約(「暴動の鎮圧を含む法の執行のための目的」における催涙ガスの使用は条約で禁止されていない。
- ^ a b Behind the Shield: Anti-Riot Operations Guide A. Hunsicker Universal Publishers.com 2011年 ISBN 9781612330358
武力鎮圧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/02 20:13 UTC 版)
5月19日には、国軍によりデモ隊が武力鎮圧される事件が発生した。 国軍は19日早朝、バンコク中心部のルンピニ公園でデモ活動を続けるデモ隊の掃討作戦を実行した。国軍の治安部隊は、装甲車と銃で市民を制圧するために、公園に向け威嚇射撃を始め、その後、国軍は装甲車でバリケードを破壊し、公園内に突入した。 無差別に実弾を発砲する国軍に対して、デモ隊は鉄パイプや火炎瓶などで激しく応戦し、女性も竹やりを手に抵抗したため、市街戦状態に陥った。 デモが行われていた地区の中心部には、子どもや女性、高齢者を含む約3000人が残されていて、子どもや女性には「安全地帯」である避難場所としていた地区内の仏教寺院のパトゥムワナラム寺に避難していた。しかし、この駆け込み寺も国軍により銃撃され、6人が死亡した。その内の1人は、負傷者の手当てをしていた女性看護師であった。 この衝突は、UDD幹部によりデモの散会が宣言された19日まで継続した。 アピシット首相は23日、日曜定例のテレビ番組に出演し、「赤シャツ軍団は国家に大きな損害を与えた。封鎖作戦は、テロ行為を終わらせるために必要なものだ」と述べ、デモ隊の強制排除が不可避であったことを説明した。 事件後、バンコク都内は大混乱に陥り、都内各所で暴動が発生し、東南アジア最大の大型商業施設、セントラルワールドが何者かによって放火された。 4月から5月の一連のデモ掃討作戦で、公式発表では91人が死亡し1800人以上が負傷したとされる、実際はもっと多いとみられている。現在でもなお、事件当日に何が起こったのか、死傷者は最終的に何人にのぼるのかなど、真相に不明な点が多い。
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