武力討幕派と大政奉還派の対立とは? わかりやすく解説

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武力討幕派と大政奉還派の対立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 12:14 UTC 版)

鳥羽・伏見の戦い」の記事における「武力討幕派と大政奉還派の対立」の解説

土佐藩は、乾退助(板垣退助)主導のもと、軍制近代化武力討幕論に舵を切ったが、後藤象二郎が「大政奉還論」を献策すると、藩論過激な武力討幕論を退け大政奉還論が主流となる。しかし、乾退助武力討幕意見曲げず大政返上の事、その名は美なるも是れ空名のみ。徳川氏馬上天下取れり。然(しか)らば馬上に於いて之(これ)を復して王廷に奉ずるにあらずんば、いかで能(よ)く三百年の覇政を滅するを得んや。無名の師王者の與(くみ)せざる所なれど、今や幕府罪悪天下に盈(み)つ。此時に際して断乎(だんこ)たる討幕の計に出(い)でず、徒(いたづら)に言論のみを以て将軍職退かしめんとすは、迂闊極まれり乾退助。 と述べ大政奉還論を「空名無実」と批判して真っ向から反対した。5月22日(太陽暦6月24日)の時点薩土討幕の密約了承し退助土佐藩の軍制改革武器調達命じた山内容堂であったが、8月20日(太陽暦9月17日)になると、容堂は一転して後藤象二郎献策による大政奉還幕府上奏する意思示した藩庁大政奉還論に反対する乾退助アメリカ派遣内命下し政局から遠避けよう画策。さらに、8月21日(太陽暦9月18日)、乾退助土佐藩御軍御用兼帯致道館掛を解任された。

※この「武力討幕派と大政奉還派の対立」の解説は、「鳥羽・伏見の戦い」の解説の一部です。
「武力討幕派と大政奉還派の対立」を含む「鳥羽・伏見の戦い」の記事については、「鳥羽・伏見の戦い」の概要を参照ください。

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