政府軍による奪還
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2015年3月2日、イラク政府軍がイスラム教シーア派の武装組織と共同で、ティクリートの奪還に向けた大規模な作戦を開始。ISILが2014年6月にスンニ派が多数を占めるサラーフッディーン県の大部分を支配下に置き、首都バグダッドに迫って以来、最大の軍事作戦となった。AFP通信は部隊の規模を約3万人と伝えている。この作戦には航空機も投入されているが、米国防総省のスティーブン・ウォーレン報道部長は3月2日の会見で、「この作戦で米軍は空爆支援を行っていない」と述べている。一方で隣国イランのイスラム革命防衛隊が無人機やロケット砲、迫撃砲などを投入しており、革命防衛隊の精鋭部隊であるゴドス軍のガーセム・ソレイマーニー司令官がサラーフッディーン県に入り、イラク軍や民兵などの作戦の調整に当たっているとイラクメディアが報じている。 2015年3月11日、イラク政府軍がティクリート市内への侵攻開始。 2015年3月12日、戦況は政府軍に大きく傾く。イラク政府軍が街の75%まで制圧に成功したと報じられ、イラク国会安全保障・防衛委員会のジサーム・副委員長は「政府軍や義勇軍によるティクリート解放作戦は成功に終わった」とし、サラーフッディーン州の安全保障委員会のハズラジ委員長も、「イラク軍は、完全にティクリートを制圧し、この作戦でISILのメンバー多数が死亡、ほか、多数がこの町を退却している」と発言、イラクの国務大臣ハリド・オベイディも「ティクリートの奪還作戦の成功」を明らかにするなどし、ISIL側の指導者バグダディもISIL運営のラジオからのメッセージで、ティクリートでの大敗を認めると共に、ISILのメンバーに対し、士気を失わないために、衛星チャンネルを見ないよう求める状況となった。 2015年3月13日、イラク政府軍はISIL戦闘員の残党数百名を包囲し、ヘリコプターや重火器による攻撃を続けていると報じられた。 2015年3月24日、欧米メディアが、ティクリートの奪還作戦に当たっているイラク軍を支援するため、米国が主導する有志連合がティクリート上空での偵察飛行を3月21日から始めたと報じた。米国はイランとの共同作戦を拒んできたが方針の転換となった。 2015年3月31日、イラク首相ハイダル・アル=アバーディが、「市中心部に進攻し、『イスラム国』から解放した」とする声明を発表。 2015年6月11日、2014年6月にISILがティクリートを陥落させ入た際、スペイサー軍事基地に所属していた若い新兵がISIL戦闘員やISIL支持派の武装集団に拉致殺害された「スペイサーの虐殺」と呼ばれる大量殺害について、イラク人権相のバヤティはバグダッドで記者団に「スペイサーの虐殺による597人の遺体を掘り起こした」と述べた。
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政府軍による奪還
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2015年12月28日、イラク政府はISILからラマディを再奪還したことを宣言したが、それはイラク政府にとって、ラマディでの7ヶ月ほど前の敗北以来、最初の大きな軍事的勝利となった。 「イラクでの戦い (2013–2017)」も参照
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政府軍による奪還
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詳細は「パルミラ攻防戦 (2017年)(英語版)」を参照 2017年2月、ロシア航空宇宙軍の支援を受けるシリア政府軍はパルミラへ攻勢を仕掛け、パルミラを見下ろす複数の丘の頂を相次いで制圧し、市の西側を射程圏内に収めた。3月1日夜にはパルミラ市の大部分を占領した。3日、ロシア国防省セルゲイ・ショイグはプーチンにパルミラ奪還を報告し、シリア人権監視団もISが撤退し、政府軍が地雷の除去作業を行っていると発表した。 8月には政府軍がパルミラの北東約70キロ先にあるスフナフをISから奪還し、デリゾール包囲戦で孤立している部隊へ援軍を送る道が開かれた。
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