方針の転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 21:26 UTC 版)
「バトル・オブ・ブリテン」の記事における「方針の転換」の解説
20日は雨天だったが、イーストチャーチ、マンストン、ウェスト・メイリングなど南東部の基地が攻撃の対象となった他、沖合いの船団に対する攻撃も実施され、ドイツが6機、イギリスが2機を失った。この日ゲーリングは新たな方針を打ち出した。まず、損害の多かったユンカース Ju 87を上陸作戦後の地上支援に備えて温存させるため、運用停止とすることを決めた。次に、第3航空艦隊のBf 109を第2航空艦隊に転属させ、被害が増えているBf 110と爆撃機の護衛にあたるよう指示した。さらに、第2航空艦隊が昼間空襲を担う代わりに第3航空艦隊は護衛の必要性が薄い夜間空襲の専門になることで、24時間態勢でイギリス空襲を行う方針を定めた。一方イギリスでも大きな動きがあり、イギリス首相ウィンストン・チャーチルが下院で有名な演説を行った。 人類の歴史の中で、かくも少ない人が、かくも多数の人を守ったことはない。 — イギリス首相ウィンストン・チャーチル、1940年8月20日 下院スピーチ この演説は、戦闘機軍団に対する賛辞を意図していた。キース・パーク空軍少将 (Keith Park) は自身の指揮する第11飛行群に2つの指示を出した。1つは戦闘機との戦闘を避け、爆撃機の排除を徹底することで、2つ目は戦闘機を配備した基地の防衛強化であった。前者については、敵戦闘機との戦闘を望み、騎士道精神に固執する熟練搭乗員の不満を買ったが、ドイツ空軍に打撃を与えつつも自身らの戦闘機を守るための方針であった。
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