コズメ・トゥーラ
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コズメ・トゥーラまたはコジモ・トゥーラ(Il Cosmè or Cosmè Tura, aka Cosimo Tura, 1430年頃 - 1495年)は、イタリア初期ルネサンス(またはクアトロチェント)の画家。フェラーラ派を作った一人と考えられている。
生涯
トゥーラはフェラーラで生まれた。パドヴァのフランチェスコ・スクァルチォーネの弟子となり、後にボルソ・デステならびにエルコレ1世・デステ両公の庇護を受けた。1460年にはフェラーラ宮廷から俸給を受けていた。弟子たちの中には、フランチェスコ・デル・コッサ、フランチェスコ・ビアンキがいた。また、トゥーラの作品には、アンドレア・マンテーニャやピエロ・デラ・フランチェスカのクアトロチェント様式の影響が明らかである。
作品
フェラーラで、トゥーラといってまず名前が挙がるのはスキファノイア宮殿のフレスコ画(1469年 - 1471年制作)である[1]。この宮殿は(外観や構造はさほど有名ではないが)エステ家の別荘で、中世の町の城壁の外に位置していた。トゥーラはフランチェスコ・デル・コッサと共に、12ヶ月と占星術記号が入り組んで表現された寓意的連作壁画を制作した。この中には、牧歌的にパレードする楽士たち、労働者たち、カーニヴァルの山車も描かれている。また、ピエロ・デラ・フランチェスカの世界さながらの無表情な人々も粉をひいている。
他にも、ドゥオーモのオルガンの扉には『受胎告知』を描いた(1469年)。レオネッロ・デステの教室のために合作したミューズ(詩神)連作の中には、現在ロンドンのナショナル・ギャラリーにある、カリオペの姿を描いた『春』が含まれる。ちなみに、どの絵が誰の絵か議論されていた頃には、Maccaginoことアンジェロ・ディ・ピエトロ・ダ・シエナ、アンジェロ・パラッシオ、ミケーレ・パノーニオではないかとも言われていた。
代表作
- 聖ゲオルギウス サンディエゴ・アート美術館[2]
- ピエタ(1460年頃)ヴェネツィア、コッレール美術館[3]
- 聖マウレリウスの受難(1470年代)フェラーラ、国立絵画館[4]
- キリストの割礼(1470年代)ボストン、イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館[5]
- 聖母子(1455年)ワシントンD.C.、ナショナル・ギャラリー[6]
- フェラーラ公夫人エレオノーラ・アラゴンの肖像 ニューヨーク、モルガン・ライブラリー[7]
- 春、またはミューズのカリオペ(1460年頃)ロンドン、ナショナル・ギャラリー[8]
- 王女(1470年)フェラーラ、ドゥオーモ付属美術館[9]
- 聖ゲオルギウスとドラゴン(1470年頃フェラーラ、ドゥオーモ付属美術館[10]
- あがめられた聖母(1474年)ロンドン、ナショナル・ギャラリー[11]
- 聖セバスティアヌス ドイツ、アルテ・マイスター絵画館[12]
- 聖ドミニクス フィレンツェ、ウフィツィ美術館[13]
- ピエタ フランス、ルーヴル美術館[14]
- 読書するパドヴァの聖アントニウス ルーヴル美術館[15]
- ピエタ(1472年頃)ヴェネツィア、コッレール美術館
- 哀歌(1472年頃) ロヴェレッラのアルターピース
- 聖歌隊本からイニシャル「A」 ニューヨーク、メトロポリタン美術館[16]
- スキファノイア宮殿のフレスコ画[17]
- 9月の寓意:ヴァルカンの勝利
- 8月の寓意:セレスの勝利
- 6月の寓意:マーキュリーの勝利
参考文献
- Haldane Macfall, History of Painting: The Renaissance in Venice Part Two, page 34, ISBN 1-4179-4507-9
外部リンク
コズメ・トゥーラ(フェラーラ)
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「ルネサンス期のイタリア絵画」の記事における「コズメ・トゥーラ(フェラーラ)」の解説
マントヴァのゴンザーガ宮廷で活動していたマンテーニャと同時期に、フェラーラの有力貴族エステ家に仕えていた芸術家コズメ・トゥーラがいる。トゥーラの作品は非常に独特なもので、ゴシック様式と古典様式双方からの強い影響が見られる。トゥーラは、あたかも聖人であるかのように古典様式の人物像を描いた。周囲には非現実的で分かりやすい寓意がちりばめられ、人物は入念に計算された複雑なしわを持つエナメル細工で飾られた衣装をまとっている。 1471年にローマ教皇パウルス2世からフェラーラ公爵位を授与されたデステ家のモデナおよびレッジョ公ボルソは、フェラーラ公宮廷となるスキファノイア宮殿 (en:Palazzo Schifanoia) を建築中だった。トゥーラの個人的な記録によると、スキファノイア宮殿の内部装飾計画が開始された1470年に、フランチェスコ・デル・コッサとエルコレ・デ・ロベルティの二人の芸術家がデステ家に雇い入れられている。 スキファノイア宮殿の内部装飾計画は、その遂行において複雑な寓意性と緻密さを求められるものだった。装飾の主要なテーマは「一年の移り変わり」で、黄道十二宮のサインを、一カ月を10日ずつ支配する謎めいた「勝利者」とともに描き出すというものだった。ライオン、ワシ、ユニコーンなどといった獣が牽く豪奢なチャリオットが表現された画面上部には、古代ギリシア・ローマ神話から12名の神々が、自身を象徴する寓意とともに描かれている。また、画面下部には、マンテーニャがドゥカーレ宮殿の「夫婦の間」に描いたフレスコ画と同様に、一族の暮らしぶりが描写されている。例えば『3月の寓意 ミネルヴァの勝利』には、ローマ神話の知恵の女神ミネルヴァが上部に描かれ、下部にはボルソ・デステが裁判を執り行う場面、さらに遠景にはブドウの樹を手入れする農民とが描かれている。現在ではフレスコで描かれた部分の損傷が激しく、なにが描かれているのか特定できない箇所も多い。この絵画にはトゥーラ、デル・コッサ以外にも、複数の画家の手が入っているのはほぼ確実だが、コズメ・トゥーラ独特の奇抜なデザインが根幹となっており、作品全体としての作風には不整合は感じられない。
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