ドゥカーレ‐きゅうでん【ドゥカーレ宮殿】
読み方:どぅかーれきゅうでん
イタリア北東部、ベネト州の都市ベネチアにある宮殿。8世紀の創建。14世紀から16世紀にかけて改築され、ゴシック様式の回廊に囲まれた現在の姿になった。ベネチア共和国時代に総督の居館と行政庁、および裁判所が置かれた。大会議の間はティントレットやベロネーゼをはじめベネチア派の絵画が飾られている。パラッツォドゥカーレ。
イタリア中部、マルケ州の都市ウルビーノにあるルネサンス様式の宮殿。12世紀よりウルビーノを治めていたモンテフェルトロ家の宮殿として、15世紀半ばにウルビーノ公フェデリコ=ダ=モンテフェルトロにより建造された。多くの芸術家、人文主義者、貴族たちが訪れ、ルネサンス期の宮廷文化の舞台になったことで知られる。現在はラファエロ、ピエロ=デラ=フランチェスカ、ティツィアーノらのルネサンス絵画を所蔵する国立マルケ美術館になっている。
イタリア北部、ロンバルディア州の都市マントバにある宮殿。16世紀にマントバ公ゴンザーガ家により建造。宮殿、サンジョルジョ城、サンタバルバラ教会など、複数の建物で構成され、合わせて500近くの部屋がある。城内の結婚の間にはマンテーニャ作のフレスコ画があることで知られる。
イタリア北東部、エミリアロマーニャ州の都市モデナにあるバロック様式の宮殿。13世紀から14世紀にかけて建てられたエステ家の城に起源する。17世紀、モデナ公フランチェスコ1世により古い城を囲むように宮殿の建設が始まり、2世紀にわたって工事が続けられた。現在は陸軍士官学校として使われている。
ドゥカーレ宮殿
ドゥカーレ宮殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/08 12:41 UTC 版)
「ヴェネツィアとその潟」の記事における「ドゥカーレ宮殿」の解説
詳細は「ドゥカーレ宮殿」を参照 ヴェネツィア共和国時代に総督公邸として使われていた。もともとは要塞であった。しかし火災での炎上などにより何度も改装されて15世紀頃に現在の白の柱とピンクのタイルが印象的なゴシック建築物となった。 内部には歴代のヴェネツィア総督の肖像画など沢山の絵画が飾られている。特に2階の大評議室にあるティントレットの油絵『天国』、ベロネーゼの『ヴェネツィア礼賛』は有名である。 ドゥカーレ宮殿の裁判所と監獄を結ぶ橋は、ため息の橋と呼ばれている。
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ドゥカーレ宮殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 05:28 UTC 版)
1444年フェデリーコ公が建て始めた宮殿。現在は国立マルケ美術館として一般公開されており、ラファエロの「黙っている女」、ピエロ・デラ・フランチェスカの「セニガリアの聖母」「キリストの鞭刑」など、ルネッサンス絵画の傑作が集まる。地下には昔の台所や公爵の風呂跡もある。目を見張るほど美しい中庭もある。
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