ジョヴァンニ・ベリーニとは? わかりやすく解説

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ベリーニ【Bellini】

読み方:べりーに

イタリアベネチア派画家一家。父ヤコポJacopo1400ころ〜1470ころ])と二人の息子、兄ジェンティーレ(Gentile[1429ころ〜1507])および弟ジョバンニ(Giovanni[1430ころ〜1516])。父は同派の始祖とされ、兄は肖像画にすぐれ、弟は同派の画風確立した

ベリーニの画像 ベリーニの画像
聖アントニオスとシエナの聖ベルナルディーノヤコポ、1459)/ワシントン・ナショナルギャラリーhttps://bit.ly/3ixb6cG
ベリーニの画像 ベリーニの画像 ベリーニの画像 ベリーニの画像 ベリーニの画像 ベリーニの画像 ベリーニの画像 ベリーニの画像 ベリーニの画像 ベリーニの画像

ジョヴァンニ・ベッリーニ

(ジョヴァンニ・ベリーニ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/31 02:10 UTC 版)

ジョヴァンニ・ベッリーニ
Giovanni Bellini
自画像
生誕 1430年頃
ヴェネツィア共和国ヴェネツィア
死没 1516年
ヴェネツィア共和国、ヴェネツィア
運動・動向 ヴェネツィア派
テンプレートを表示
ピエタ』1460
板、テンペラ
86 × 107 cm
ブレラ絵画館 (ミラノ)
総督レオナルド・ロレダンの肖像 』1501頃
板、油彩
61.5 × 45 cm
ナショナル ギャラリー(ロンドン)

ジョヴァンニ・ベッリーニGiovanni Bellini, 1430年頃 - 1516年)は、イタリアルネサンス期の画家。画家一族で知られるベッリーニ家の中で最も重要な画家である。

ヴェロネーゼティツィアーノジョルジョーネティントレットらを生んだヴェネツィア派の第一世代を代表する画家であり、15世紀同派最大の巨匠である。父のヤーコポ・ベリーニ、兄のジェンティーレ・ベリーニもそれぞれ高名な画家である。また、パドヴァ派の大画家マンテーニャは義兄弟にあたり[1](ジョヴァンニの姉ニコロシアはマンテーニャと結婚)、ベリーニ兄弟の画風は、マンテーニャの硬質で理知的な絵画からも影響を受けている。1460年作の『ピエタ』は伝統的な画材であるテンペラを用い、硬質な画風にはマンテーニャの影響がみられるが、1480年頃から新しい技法である油彩を用い、柔和な表現と華麗な色彩が特色の、ヴェネツィア派風の作風に移行する。

ジョヴァンニの生年は不明だが、1430年頃と推定され、没年である1516年には80代半ばの高齢であったが、晩年に至っても筆力は衰えなかったことが、現存する作品からうかがえる。彼は長い画業の間に多くの聖母子像を残した。それらは、伝統的な図像に則りながらも、ごく普通の母子の肖像画のような人間味と親近感を与えるものである。

カクテルベッリーニの名前は彼に由来する。

ギャラリー

その他の作品

  • 荒野の聖フランチェスコ英語版

画集解説

  • 『ジョヴァンニ・ベリーニ イタリア・ルネサンスの巨匠たち.22』 
    マリオリーナ・オリヴァーリ、篠塚二三男訳、東京書籍、1995年

脚注

  1. ^ 池上英洋『西洋美術史入門 実践編』筑摩書房、2014年、91頁。ISBN 978-4-480-68913-9 

ジョヴァンニ・ベリーニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 15:46 UTC 版)

ルネサンス期のイタリア絵画」の記事における「ジョヴァンニ・ベリーニ」の解説

ジョヴァンニ・ベリーニ(1430年頃 - 1516年)は、実兄ジェンティーレ義兄にはマンテーニャという、それぞれ著名な画家をもつ、ヴェネツィア出身画家である。ベリーニは兄ジョヴァンニ工房画家としてのキャリア多く過ごしたが、その硬質作風にはマンテーニャの強い影響見られる50歳代になるまで、ベリーニには個人的な署名をした、独力で制作した思われる作品存在しない50歳代以降になって旺盛な制作意欲示し後世ジョルジョーネティツィアーノ1488年/1490年頃 - 1576年)に影響与えたベリーニ年少ラファエロ同様に多く聖母子描いた画家で、豊かで鮮やかな色彩の、ラファエロよりも情熱感のある聖母子が多い。ベリーニ工房オリジナル作品から幾度となく複製画制作されており、『キリスト割礼』には4、5点の全く同じ複製画存在している。 「聖母子」をモチーフとした伝統的な祭壇画では、玉座座って幼児キリストを抱く聖母描かれる聖人がともに描かれることが多いが、多翼祭壇画であれば中央パネル描かれ聖母子とは別の左右パネル物理的に分かれて描かれるか、建物など聖母子とは明確に境界分けて描かれていた。しかしながらルネサンス初期ピエロ・デッラ・フランチェスカらが、同じ建物内聖母子取り囲むような構成絵画描き始めたベリーニこのような構成聖母子いわゆる聖会話形式作品描いており、1505年の『サン・ザッカリアの祭壇画』がその典型例といえるベリーニ卓越した構成力を示す作品で、写実的かつ幻想的な建物ロッジア)を背景にした聖母子と聖人たち描写されている。開かれたロッジア流れ込む太陽の光聖母子聖母子足元ヴィオラ奏でる幼い天使聖母子両脇に立つ二人の女性聖人照らし出し画面前面描かれている年老いた沈思する聖ペテロ読書没頭する聖ヒエロニムス光の陰描かれている。

※この「ジョヴァンニ・ベリーニ」の解説は、「ルネサンス期のイタリア絵画」の解説の一部です。
「ジョヴァンニ・ベリーニ」を含む「ルネサンス期のイタリア絵画」の記事については、「ルネサンス期のイタリア絵画」の概要を参照ください。

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