アントネッロ・ダ・メッシーナ
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「ルネサンス期のイタリア絵画」の記事における「アントネッロ・ダ・メッシーナ」の解説
アラゴン王アルフォンソ5世が1442年にナポリ王アルフォンソ1世として即位し、自身が所有していたフランドル絵画のコレクションをナポリに持ち込み、さらに人文高等教育機関を設置した。アルフォンソ1世の絵画コレクションには初期フランドル派の巨匠ヤン・ファン・エイクの作品などが含まれており、アントネッロ・ダ・メッシーナは、このコレクションに接することができた画家だったと考えられている。ダ・メッシーナはフィレンツェの画家たちよりも早い時期に初期フランドル派の作品と出会い、初期フランドル派の画家たちが発展、確立した油彩技法の可能性に着目し、自身の絵画にいち早く取り入れた。ダ・メッシーナはこの油彩技法をヴェネツィアにも伝え、当地の画家ジョヴァンニ・ベリーニらがすぐさまその作品に採用している。海に面した都市で広く受け入れられていたとは言い難いフレスコ技法に代わって、油彩技法は大きな成功を収めるようになっていった。 ダ・メッシーナは色鮮やかな精緻に表現された肖像画を得意とした画家である。しかしながら代表作の一つにあげられる『書斎の聖ヒエロニムス』に、ダ・メッシーナが身につけていた優れた透視図法と光の表現技法をみることができる。『書斎の聖ヒエロニムス』は 45.7 cm × 36.2 cm 程度の小作品で、後期ゴシック風のアーチに縁取られた構成となっており、このアーチを通して建物内左右に聖俗それぞれの内装が描かれている。画面中央には木製の椅子に座った聖ヒエロニムスが配置され、画面右側の暗部にヒエロニムスを象徴するライオンが描かれている。この作品における、すべての扉、窓から射し込む自然光と、室内に描かれたあらゆるものに回り込む反射光の描写はピエロ・デッラ・フランチェスカにも大きな刺激となった。さらにダ・メッシーナの作品は、サンタ・クローチェ同信会の依頼で『ヴェネツィアの奇跡』を描いたジェンティーレ・ベリーニと、その弟で北イタリアにおける盛期ルネサンスでも最重要の画家であるジョヴァンニ・ベリーニにも影響を与えている。
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