音楽家から画家に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 23:23 UTC 版)
「セバスティアーノ・デル・ピオンボ」の記事における「音楽家から画家に」の解説
ピオンボはヴェネツィア派に属するが、活動のほとんどはローマであった。最初は音楽家、主にリュートのソリストとして、ヴェネツィア貴族の中で人気を得た。しかし、ほどなく画家に転じ、ジョヴァンニ・ベリーニ、続いてジョルジョーネの弟子となった。ピオンボの作品にはこの2人の影響がよく出ている。それで、『サロメ』(1510年)など、ピオンボの作品のいくつかがジョルジョーネの作品と間違えられたりした。 ピオンボの最初の絵とされるのは、サン・ジョヴァンニ・クリソストモ教会のための祭壇画で、師匠だったジョルジョーネのスタイルを手本にしたものだった。描かれているのは、2人の女性聖者、3人の男性聖者に向かって、朗朗と説教している聖ヨハネス・クリュソストモスで、手前にはマグダラのマリアもいる。
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