1421年の遠征
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「イングランド・フランス二重王国」の記事における「1421年の遠征」の解説
1421年6月10日にヘンリー5世はフランスへ渡ったが、これが最後の遠征となった。7月から8月にかけてヘンリー5世の軍はドルーを包囲・攻略してシャルトルの軍と連携した。10月にヘンリー5世の軍はモーを包囲して1422年5月2日に占領した。ヘンリー5世は1422年8月31日、パリ付近のヴァンセンヌ城で急死した。原因はモー包囲中に感染した赤痢であることが明らかになっている。35歳であった。死の前にヘンリー5世は弟のベッドフォード公ジョンを生後数ヶ月に満たないヘンリー6世のフランスにおける摂政に任命した。ヘンリー5世自身は、自らの王位が確約されたトロワ条約に則って生きた状態でフランス王に戴冠することは叶わなかった。ヘンリー5世を自らの後継者に指名した病弱なシャルル6世は、ヘンリー5世よりも数ヶ月生き延びた。前年に生まれたヘンリー6世は、父からイングランド王位を、数ヵ月後には祖父からフランス王位を継承した。イングランド王ヘンリー6世ないしフランス王アンリ2世という一人の君主の許で連合体制が敷かれた。
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