1421:中国が新大陸を発見した年
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「ギャヴィン・メンジーズ」の記事における「1421:中国が新大陸を発見した年」の解説
「zh:1421:中国发现世界」も参照 2002年、メンジーズは最初の本、『1421:中国が新大陸を発見した年』1421: The Year China Discovered the World を出版した(アメリカ合衆国では 1421: The Year China Discovered America の題名で刊行された)。この本は、彼が主張する「1421年仮説」(1421 hypothesis)を立証するための軽い作品 (vignette) のシリーズの一冊として、非公式的に書かれたものであり、さまざまな推測をちりばめながら鄭和艦隊の到達点を描いたものである。メンジーズは本の冒頭で、以下のような問いを発している。すなわち、ヨーロッパで出版された初期の世界地図には、ヨーロッパ人に知られていなかったであろう地域が測量され、また海図に描かれて示されている、これらの土地を測量したのはだれか、ひいてはこれらの土地を「発見した」のは誰であったろうか?(大意)という問いである。メンジーズは、このような遠征をおこなうための時間、資金、人材、指導力を有したのは中国のみであり、中国にもヨーロッパにも知られていなかった土地に到達したのは中国人であると言うことができると述べている。 メンジーズの主張によれば、1421年から1423年にかけて、中国・明王朝の永楽帝のもと、鄭和が率い、周鼎・周満(英語版)・楊真・洪保(英語版)を副官とした艦隊は、オーストラリア大陸・ニュージーランド・アメリカ大陸・南極大陸・北東航路を発見し、グリーンランドを一周、南極点及び北極点への到達を試み、マゼランよりも以前に世界周航を成し遂げたという。この書籍はさまざまな言語に翻訳されて世界各国で刊行され、ニューヨーク・タイムズ紙では2003年の数週間にわたってベストセラーとして名が挙がった。この書籍は多数の脚注・参考文献・謝辞を含んでいるが、批判者は、(「鄭和の南海遠征」の限界点として歴史家が指摘する)東アフリカから先に進んだことについて根拠となる史料が欠如していることを批判された。メンジーズは、彼の仮説を支えるために、マイノリティー集団のDNAや、考古学的な発見、古代の地図に関する学術研究を独自に解釈し、推論を行っている。 メンジーズは、鄭和が発見した知識がその後失われたことについて、さらなる航海を進めるための費用が中国経済に及ぼす影響を明朝の官僚たちが恐れたためと述べている。1424年に永楽帝が没し、新たに即位した洪熙帝が鄭和に遠征を禁じた際、官僚たちは航海を阻止するために、過去の探検の記録を隠蔽し破棄したのだという。国際鄭和協会 (International Zheng He Society) 会長の陳達生 (Tan Ta Sen、マレーシア・マラッカの鄭和文化館(中国語版)館長) は、この本に一般の読者が感じるであろう魅力 (popular appeal) を認めつつ、その学術的欠点を指摘している。 The book is very interesting, but you still need more evidence. We don't regard it as an historical book, but as a narrative one. I want to see more proof. But at least Menzies has started something, and people could find more evidence.(この本は非常に興味深いが、もっと根拠が必要だ。われわれはこれを歴史研究書ではなく、物語と考えている。さらなる論証が見たい。少なくともメンジーズはなにかに取り組みはじめているわけで、さらなる根拠が示されるだろう) 学界において、この本(およびメンジーズの「1421年仮説」)は、中国学研究者および専門の歴史学者に拒絶された。2004年、歴史学者の Robert Finlay は、Journal of World Historyにおいてメンジーズを「史料の乱暴な扱い方」によって「一片の証拠もない」仮説を導いたと厳しく批判した。Finlay は以下のように述べる。 Unfortunately, this reckless manner of dealing with evidence is typical of 1421, vitiating all its extraordinary claims: the voyages it describes never took place, Chinese information never reached Prince Henry and Columbus, and there is no evidence of the Ming fleets in newly discovered lands. The fundamental assumption of the book—that the Yongle Emperor dispatched the Ming fleets because he had a "grand plan", a vision of charting the world and creating a maritime empire spanning the oceans—is simply asserted by Menzies without a shred of proof ... The reasoning of 1421 is inexorably circular, its evidence spurious, its research derisory, its borrowings unacknowledged, its citations slipshod, and its assertions preposterous ... Examination of the book's central claims reveals they are uniformly without substance. (不幸なことに、こうした史料の乱暴な扱い方は、『1421』の特徴を示すものであり、その特異な主張を無意味なものにする。この本で描かれたような航海はなされておらず、中国からの情報はエンリケ航海王子にもコロンブスにも伝わっていない。明の艦隊が新しい土地を発見したということには根拠がない。この本の「永楽帝が艦隊を送り出したのは、世界の海図をつくり、海洋にまたがる海上帝国を建設するという「壮大な計画」を持っていたからである」という根本的な思い込みは、メンジーズによって一片の証拠もなく断言されているだけのことである。……『1421』の推論は否応なく循環し、根拠は誤っており、研究はごくわずかで、借用した言葉は認められるものでなく、引用は手抜きであり、主張は不合理である。……この本の中心的な主張を検討すれば、一様に実態はないことが明らかになる) 学者と航海者のグループ(米国の Su Ming Yang、ポルトガルの Jin Guo-Ping と Malhão Pereira、マレーシアの Philip Rivers、シンガポールの Geoff Wade)は、メンジーズの方法に疑義を呈し、連名で以下のようなメッセージを発している。 His book 1421: The Year China Discovered the World, is a work of sheer fiction presented as revisionist history. Not a single document or artifact has been found to support his new claims on the supposed Ming naval expeditions beyond Africa...Menzies' numerous claims and the hundreds of pieces of "evidence" he has assembled have been thoroughly and entirely discredited by historians, maritime experts and oceanographers from China, the U.S., Europe and elsewhere. (彼の著書『1421:中国が新大陸を発見した年』は、修正主義的な歴史として示された、まったくのフィクション作品である。明の遠征隊がアフリカを越えたという彼の新しい主張を裏付けるような文献や遺物は一つも見つかっていない。メンジーズのたくさんの主張や、彼が提示した数百に及ぶ「証拠」は、中国・米国・ヨーロッパあるいはそれ以外の歴史学者・海事専門家・海洋学者によって徹底的に・全面的に疑われている)
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