バレンシアの征服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/04/16 09:07 UTC 版)
アルフォンソによる追放の後も、彼を慕う多くの兵士達が集った。シドは当時まだ色が付いていなかったバレンシアの征服に乗り出し(バレンシアがアルフォンソの所領から遠かったことも一因であるらしい)、1094年にバレンシアをイスラム教徒から奪回する。 バレンシア平定後、シドは幽閉されていた妻子を呼び寄せた。その後5年間の統治を経て亡くなっている。 生きている時代にすでにシドを歌う叙事詩が作られ始め、シドは城でその歌を満足げに聴いていたという文献資料もある。 叙事詩のひとつによれば、死期を悟ったシドは自ら食を絶ち、死体を保存できるように準備をし、数十年以上、生きた当時の姿のまま台座に座っていたという。そしてその台座上の姿のまま、愛馬バビエカに乗せられて巡行したと述べられている。それでも、ついにミイラの鼻がもげてしまったことをきっかけに、パピエカの墓のすぐそばに埋葬されたという。 1099年のシド他界後、シドの妻ヒメーナはその後を継いで統治を行うが、数年でその領地は失われた。以後100年以上に渡ってキリスト教徒がバレンシアを奪還することは出来なかった。
※この「バレンシアの征服」の解説は、「エル・シド」の解説の一部です。
「バレンシアの征服」を含む「エル・シド」の記事については、「エル・シド」の概要を参照ください。
バレンシアの征服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 14:28 UTC 版)
アルフォンソによる追放の後も、彼を慕う多くの兵士達が集った。シッドは当時まだ色が付いていなかったバレンシアの征服に乗り出し(バレンシアがアルフォンソの所領から遠かったことも一因であるらしい)、1094年にバレンシアをイスラム教徒から奪回する。 バレンシア平定後、シッドは幽閉されていた妻子を呼び寄せた。その後5年間の統治を経て亡くなっている。 生きている時代にすでにシッドを歌う叙事詩が作られ始め、シッドは城でその歌を満足げに聴いていたという文献資料もある。 叙事詩のひとつによれば、死期を悟ったシッドは自ら食を絶ち、死体を保存できるように準備をし、数十年以上、生きた当時の姿のまま台座に座っていたという。そしてその台座上の姿のまま、愛馬バビエカに乗せられて巡行したと述べられている。それでも、ついにミイラの鼻がもげてしまったことをきっかけに、バビエカの墓のすぐそばに埋葬されたという。 1099年のシッド他界後、シッドの妻ヒメナはその後を継いで統治を行うが、数年でその領地は失われた。以後100年以上に渡ってキリスト教徒がバレンシアを奪還することは出来なかった。
※この「バレンシアの征服」の解説は、「エル・シッド」の解説の一部です。
「バレンシアの征服」を含む「エル・シッド」の記事については、「エル・シッド」の概要を参照ください。
- バレンシアの征服のページへのリンク