バレンシアFC
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 13:06 UTC 版)
レアル・マドリードとの契約延長交渉が決裂し、2007年3月に4年契約でバレンシアCFに完全移籍した。ビセンテ・ロドリゲスの相次ぐ負傷やロナルド・クーマン監督の解任などが幸いして徐々にポジションを掴んだ。2008年3月20日のコパ・デル・レイ準決勝・FCバルセロナ戦では2得点し、4月16日の決勝・ヘタフェCF戦では先制点を決めて3-1での優勝に貢献した。2007-08シーズンの活躍からバレンシアCFのファンと選手が選ぶ最優秀若手選手賞に選ばれた。レアル・マドリードではトップチームに昇格できなかったが、バレンシアCFに移籍して花開くこととなった。 古巣レアル・マドリードと対戦した2008年のスーペルコパ・デ・エスパーニャでは1stレグで得点を決めて3-2で勝利したが、2ndレグでは2-4で敗れ、2試合合計5-6で敗れて準優勝に終わった。2008-09シーズンの出だしは好調で、RCDマジョルカとの開幕戦で先制点を決めたほか、CAオサスナ戦ではダビド・ビジャからのロングボールをゴールネットに沈めた。ビジャとの連携は試合ごとに改善し、2008年9月25日のマラガCF戦ではビジャが決めた2得点の両方をアシストした。3日後のデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦では1得点3アシストと4得点すべてに絡む活躍を見せた。終盤戦のスポルティング・ヒホン戦では決勝点となる3点目を決め、ホームでのセビージャFC戦では2-1の勝利を決めるPKを決めた(本来のキッカーであるビジャが負傷交代していたため)。2008-09シーズンは11得点13アシストという成績を残し、アシストランキングではFCバルセロナのシャビ・エルナンデスに次いでリーグ2位を獲得した。
※この「バレンシアFC」の解説は、「フアン・マタ」の解説の一部です。
「バレンシアFC」を含む「フアン・マタ」の記事については、「フアン・マタ」の概要を参照ください。
- バレンシアFCのページへのリンク