バレンシアCFから現役引退まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/23 03:52 UTC 版)
「ギジェルモ・ゴロスティサ」の記事における「バレンシアCFから現役引退まで」の解説
内戦後もゴロスティサの所属はアスレティック・ビルバオのままだったが、1940-1941年シーズンにはバレンシアCFに移籍した。当時31歳のベテランになっていたが、バレンシアを6シーズン連続でプリメーラに残留させた。そして1942年と1944年にはリーグを制覇し、1941年にはカップ戦でも優勝した。バレンシアCFではエピ、アマデオ、ムンド、アセンシと共に「電撃フォワード陣」を形成。プリメーラにおけるバレンシアの通算500点目のスコアラーにもなった。1945-46年シーズン限りでバレンシアを退団。エスタディオ・デ・メスタージャでの最後の試合は彼の華々しいキャリアへオマージュを捧げる舞台となった。プリメーラ通算得点は178である。 だがゴロスティサは、37歳という年齢にも関わらずスパイクを脱がなかった。セグンダ・ディビシオン所属のバラカルドCFに移籍してリーグ得点王を獲得、翌年はアストゥリアス州の小クラブ、レアル・フベンシア・デ・トゥルビアに移籍し約10試合以上に出場。そしてテルセーラ・ディビシオンのCDログロニェスへ1948年に入団し、選手兼任監督として1シーズンを戦って現役を引退した。その後1951年にはサン・マメスで彼の経歴に敬意を示すイベントが行われた。
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