チェンストホヴァとは? わかりやすく解説

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チェンストホヴァ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/04 06:54 UTC 版)

Częstochowa
Częstochowa tourist's attractions, Top left: eclectic Kamienica Kupiecka (1894 - 1907), Top right: Fountain at Stanisław Staszic Park, Middle: View of May Third Park and Jasna Góra Monastery, Bottom left: View of Holy Virgin Mary Avenue and Jasna Góra, Bottom right: Częstochowa City Hall


紋章
標語: 
Częstochowa to dobre miasto
(Częstochowa is a good city)
Częstochowa
北緯50度48分 東経19度7分 / 北緯50.800度 東経19.117度 / 50.800; 19.117
Country ポーランド
シロンスク県
city county
Established 11世紀
Town rights 1356
政府
 • 市長 Krzysztof Matyjaszczyk
面積
 • 都市 160 km2
人口
(2021)
 • 都市 214,342人
 • 密度 1,300人/km2
 • 都市圏
400,000人
等時帯 UTC+1 (CET)
 • 夏時間 UTC+2 (CEST)
郵便番号
42-200 to 42-229, 42-263, 42-271, 42-280, 42-294
市外局番 +48 34
カープレート SC
ウェブサイト http://www.czestochowa.pl/
ヤスナ・グラ修道院
ヤスナ・グラの聖母
市庁舎

チェンストホヴァポーランド語Częstochowa [t͡ʂɛ̃stɔˈxɔva] ( 音声ファイル)チェコ語:Čenstochová、ドイツ語:Tschenstochau、イディッシュ語:טשענסטעכאוו-Chenstekhov)は、ポーランド南部シロンスク県の都市。ヴァルタ川が流れる。

市は、聖パウルス派修道院で黒い聖母を祀るヤスナ・グラ修道院で知られる。毎年1千万人もの巡礼者が世界各地から集まる。

市名

チェンストホヴァの名前は、人名のCzęstoch中世の記録にはCzęstoborCzęstomir)に由来する。元々の名前はCzęstochowaで、1220年の綴りはCzanstochowaだった。Częstochowは1382年から1558年まで使われた。現在の町の一部がCzęstochówkaと呼ばれるのは、14世紀に古いチェンストホヴァ(Antiquo Czanstochowa)とCzęstochówkaに分離したためである。 他の綴りには、Czestochowa、 Czenstochov、 Chenstochovなどがある。

歴史

12世紀から16世紀

チェンストホヴァの村ができたのは11世紀である。最初に村として歴史的な文書に記されたのは1220年からである。1382年、聖パウルス派のヤスナ・グラ修道院がオポーレ公ヴワディスワフによって建てられた。2年後、修道院は有名なイコン、『ヤスナ・グラの聖母』を受け取った。この絵はその後の年月で巡礼の中心となり、近隣の町の成長に貢献した。1377年より前にチェンストホヴァは特権を持つ町となり、のちに1502年にマクデブルク法に変わった。

17世紀から18世紀

17世紀になると、地元の修道院は要塞となり、大洪水時代の1655年にヤスナ・グラ包囲戦で立て籠もる場所となった。チェンストホヴァのユダヤ人コミュニティーは1700年頃に現存していた。第二次分割の後、ユダヤ人コミュニティーはプロイセン王国によって併合された。1760年の後、ユダヤ人の信仰(カバラー、カトリック、イスラームの教えが混じっていた)指導者ヤコプ・フランクは、その過激な思想が社会の不信を招いたため教会によって捕らえられて修道院に監禁された。彼の信徒は彼のそばに集い、ヤコプの娘エヴァを教祖とするようになった。1772年8月、チェンストホヴァを占領したロシア軍将軍アレクサンドル・ビビコフによってヤコプは釈放された。

19世紀

ナポレオン戦争の最中、1807年に、市はワルシャワ大公国の一部となり、1815年のウィーン会議からはポーランド立憲王国の一部となった。この時期は市が急成長を遂げた時期であった。1819年に軍事建築家ヤン・ベルンハルトがナジシュヴィエツネィ・パンニ・マリ大通り(Aleja Najświętszej Panny Marii、最聖の聖母大通り)を計画し建設を始めた。現在市の主要な軸である。2つの実存する町チェンストホヴァとCzęstochówka(後者はNowa Częstochowaとして1717年に市の特権を与えられていた)が最終的に1826年に合併した。1846年、ワルシャワ=ウィーン鉄道が開通し、市とヨーロッパ各地が結ばれた。1870年より後、鉄鋼産業が地域で始まり、地元産業を下支えした。この時代の最も有名な投資は、製鋼業の他は織物業、製紙業であった。

20世紀

第一次世界大戦中、市はドイツ軍に占領された。戦後の1918年、新たに生まれたポーランド共和国の一部となった。新国家はシレジア地方の良質の鉄鉱石の広大な鉱脈を獲得した。チェンストホヴァの埋蔵物はそれほど多くもなく、すぐに閉鎖となった。これが繁栄の時代に終焉をもたらした。同時期、司教座が1925年に再設置された。

1939年のポーランド侵攻後、町はナチス・ドイツに占領され、ドイツ語名のチェンストハウ(Tschenstochau)に改名されポーランド総督府に編入された。ポーランド侵攻から2日後の1939年9月3日日曜日、ドイツ軍がチェンストホヴァへ進軍してきた。翌日、血塗られた月曜日で知られるようになった、ドイツ軍によるユダヤ人虐殺事件が起こり、およそ150人の死者が出た。1941年4月9日、ユダヤ人のゲットーが創られた第二次世界大戦の間、チェンストホヴァに住むユダヤ人コミュニティー全体にあたる、およそ45,000人のユダヤ系住民がドイツ軍に殺害された。チェンストホヴァが赤軍に解放されたのは、1945年1月16日であった。

ポーランド人民共和国となってから、共産主義国家特有の早い工業化のせいで、初代大統領ボレスワフ・ビェルトの名前にちなんで名付けられた非効率な製鉄業は、注目に値する拡大を遂げた。このことが成長する観光活動と結びついて、別の時期の急成長期を牽引し、1975年にはチェンストホヴァ県(1998年まで)を分離新設することとなったのである。

気候

チェンストホヴァ (1991–2020)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 13.4
(56.1)
18.4
(65.1)
23.1
(73.6)
29.5
(85.1)
34.1
(93.4)
35.6
(96.1)
36.0
(96.8)
36.9
(98.4)
33.7
(92.7)
27.0
(80.6)
20.1
(68.2)
16.6
(61.9)
36.9
(98.4)
平均最高気温 °C°F 1.3
(34.3)
3.1
(37.6)
7.6
(45.7)
14.4
(57.9)
19.3
(66.7)
22.6
(72.7)
24.7
(76.5)
24.5
(76.1)
19.0
(66.2)
13.2
(55.8)
7.2
(45)
2.3
(36.1)
13.27
(55.88)
日平均気温 °C°F −1.5
(29.3)
−0.3
(31.5)
3.1
(37.6)
9.1
(48.4)
13.9
(57)
17.4
(63.3)
19.3
(66.7)
18.8
(65.8)
13.8
(56.8)
8.8
(47.8)
4.0
(39.2)
−0.2
(31.6)
8.85
(47.92)
平均最低気温 °C°F −3.9
(25)
−3.1
(26.4)
−0.4
(31.3)
4.3
(39.7)
8.8
(47.8)
12.4
(54.3)
14.3
(57.7)
14.0
(57.2)
9.7
(49.5)
5.5
(41.9)
1.6
(34.9)
−2.4
(27.7)
5.07
(41.12)
最低気温記録 °C°F −26.6
(−15.9)
−29.9
(−21.8)
−20.9
(−5.6)
−6.2
(20.8)
−2.9
(26.8)
0.8
(33.4)
4.6
(40.3)
5.2
(41.4)
−0.9
(30.4)
−6.5
(20.3)
−15.4
(4.3)
−23.2
(−9.8)
−29.9
(−21.8)
降水量 mm (inch) 35.7
(1.406)
33.1
(1.303)
40.9
(1.61)
43.2
(1.701)
74.4
(2.929)
79.2
(3.118)
93.7
(3.689)
62.0
(2.441)
60.8
(2.394)
48.3
(1.902)
41.7
(1.642)
34.9
(1.374)
647.9
(25.509)
降雪量 cm (inch) 197.0
(77.56)
213.5
(84.06)
102.9
(40.51)
12.8
(5.04)
0.3
(0.12)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
3.6
(1.42)
27.7
(10.91)
99.0
(38.98)
656.8
(258.6)
平均降雨日数 9.4 8.3 9.3 7.7 9.9 10.0 10.7 8.5 8.8 9.0 8.9 8.6 109.1
平均降雪日数 18.3 17.8 8.5 1.3 0.1 0 0 0 0 0.4 5.3 14.6 66.3
湿度 86.2 82.2 75.9 67.2 69.7 69.9 70.3 71.5 77.8 82.6 86.7 87.4 77.28
平均月間日照時間 50.8 66.0 121.7 185.8 231.4 233.9 245.4 237.8 166.8 111.2 54.5 40.4 1,745.7
出典:Promedios y totales mensuales[1]

観光

現在、市はシロンスク県きっての観光地の一つであり、小さなニュルンベルクの異名を持つ。数多くの土産店と歴史的文化財があるからである。毎年1千万人の観光客が惹きつけられてくる。ヤスナ・グラ修道院所蔵のヤスナ・グラの聖母は特に人気がある。

スポーツ

交通

姉妹都市

出身人物

脚注

  1. ^ Promedios y totales mensuales”. 2021年10月30日閲覧。

外部リンク


座標: 北緯50度48分 東経19度07分 / 北緯50.800度 東経19.117度 / 50.800; 19.117


チェンストホヴァ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 06:16 UTC 版)

ツイスト (路面電車車両)」の記事における「チェンストホヴァ」の解説

ツイスト」の最初導入先となったチェンストホヴァ市電には2012年3月最初車両到着し試運転経て同年9月実施され路線延伸合わせて営業運転開始した車内高床 - 低床箇所の間には傾斜設置されており、車内ステップ存在しない100 %低床構造となっている。形式名については「2010N」以外に「129Nb」とする資料存在する同年中に契約分の7両が導入されたが、2014年以降5両に台枠亀裂含めた欠陥発覚し2016年まで全車対象とする改修工事が行われた。これに伴いペサはチェンストホヴァ市交通局に対して賠償金支払っている。 また、チェンストホヴァ市交通局2014年以降シロンスク県欧州連合からの支援を受け、施設の改修含めた大規模な近代化プロジェクト実施しており、その一環として2018年ペサとの間に新たな超低床電車ツイストII」(Twist II)を導入する9,000ズウォティ(約1,990ユーロ分の契約交わした先に登場した2010Nを基に車体デザイン変更しwi-fiへの対応や情報案内装置などを改良した車種で、当初2019年から営業運転開始する予定だったが、最初車両がチェンストホヴァに到着したのは翌2020年3月となった営業運転開始同年5月で、以降夏季までに契約分の10両が導入される他、オプション分として5両の追加発注も可能となっている。 車内(2010N) ツイストII 主要諸元形式名・愛称両数編成運転台全長全幅速度着席定員定員低床出力軌間備考参考2010N(129Nb) 7両 3車体連接車 片運転台 32,000mm 2,400mm 75km/h 59222100% 420kw 1,435mm 定員乗客密度5人/m2を想定ツイストII 10両(予定) 3車体連接車 片運転台 32,200mm 2,400mm 70km/h 58211100% 420kw 1,435mm

※この「チェンストホヴァ」の解説は、「ツイスト (路面電車車両)」の解説の一部です。
「チェンストホヴァ」を含む「ツイスト (路面電車車両)」の記事については、「ツイスト (路面電車車両)」の概要を参照ください。

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