シェミャノヴィツェ・シロンスキェとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > シェミャノヴィツェ・シロンスキェの意味・解説 

シェミャノヴィツェ・シロンスキェ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/12 15:31 UTC 版)

シェミャノヴィツェ・シロンスキェ


紋章
シェミャノヴィツェ・シロンスキェ
座標:北緯50度16分33秒 東経18度59分9秒 / 北緯50.27583度 東経18.98583度 / 50.27583; 18.98583座標: 北緯50度16分33秒 東経18度59分9秒 / 北緯50.27583度 東経18.98583度 / 50.27583; 18.98583
ポーランド
シロンスク県
建設 13世紀
都市権取得 1932年
政府
 • 市長 Rafał Piech (PJJ)
面積
 • 合計 25.5 km2
最高標高
295 m
最低標高
260 m
人口
(2021年12月31日)
 • 合計 65,684[1]
等時帯 UTC+1 (CET)
 • 夏時間 UTC+2 (CEST)
郵便番号
41-100 to 41-106
市外局番 +48 32
カープレート SI
ウェブサイト http://www.siemianowice.pl
街の中心部

シェミャノヴィツェ・シロンスキェ (ポーランド語: Siemianowice Śląskie [ɕɛmjanɔˈvit͡sɛ ˈɕlɔ̃skʲɛ], ドイツ語: Laurahütte)は、ポーランドの都市。シロンスク県に属する。市の南部で同県の中心都市カトヴィツェ、西部でホジューフと接している。

歴史

19世紀後半、ドイツ帝国のもとで工業化が進められた。第一次世界大戦後にポーランド領となる。1923年にシェミャノヴィツェ (: Siemianowitz) とフタ・ラウラ (: Laurahütte) が合併してシェミャノヴィツェ・シロンスキェが成立した。1932年に都市としての地位を認められた。第二次世界大戦中にナチス・ドイツの支配下におかれ、ラウラヒュッテと呼称されたが、戦後再びポーランド領となった。かつてはカトヴィツェ県に属していたが、行政区の再編にともない、1999年よりシロンスク県に属することになった。

姉妹都市

脚注

  1. ^ Local Data Bank”. Statistics Poland. 16 August 2022閲覧。 Data for territorial unit 2474000.

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「シェミャノヴィツェ・シロンスキェ」の関連用語

シェミャノヴィツェ・シロンスキェのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



シェミャノヴィツェ・シロンスキェのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのシェミャノヴィツェ・シロンスキェ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS