ヤスナ・グラ修道院とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > ヤスナ・グラ修道院の意味・解説 

ヤスナグラ‐しゅうどういん〔‐シウダウヰン〕【ヤスナグラ修道院】

読み方:やすなぐらしゅうどういん

《Jasna Góraポーランド南部都市チェンストホバにある修道院14世紀末、聖パウロ修道会修道院として創建。「黒いマドンナ」と称される聖母画で知られ数多く巡礼者訪れる。


ヤスナ・グラ修道院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/09 14:52 UTC 版)

ヤスナ・グラ修道院Zespół klasztorny paulinów na Jasnej Górze)は、ポーランドチェンストホヴァにある、聖母マリアに捧げられたカトリック教会修道院である。ポーランド中から巡礼が訪れる。ヤスナ・グラの聖母と呼ばれる御絵(イコン)は奇跡的な力を持つとされており、ヤスナ・グラ修道院の最も貴重な宝とされている[1]

1382年オポーレ公ヴワディスワフ・オポルチクに招かれてハンガリーからやってきたカトリックの司教団が建設した。このあたりでは最も重要とされる聖母マリアのイコンがあるため、数百年にわたって巡礼地となっている。ヤスナ・グラの聖母は数々の奇跡を起こしてきたとされ、崇敬されている[2]。たとえば17世紀の大洪水時代スウェーデンに侵略された際、この修道院が包囲されたにもかかわらず奇跡的に残ったのは、このイコンが守ったからだとされている。この一件は軍事的には重要ではなかったが、これによってポーランドの抵抗が盛り上がった。ただしポーランド側は即座に戦局を盛り返したわけではなく、クリミア・ハン国との同盟後にスウェーデン側を撃退することができた。その直後の1656年4月1日、ポーランド王ヤン2世リヴィウの大聖堂で、神の母の庇護の下に国を捧げることを誓い、彼女を彼の王国の守護者にして女王とすることを宣言した。

脚注・出典

  1. ^ Częstochowa Official Website”. © Urząd Miasta Częstochowy, Śląska 11/13, 42-217 Częstochowa. 2009年2月8日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2008年10月22日閲覧。
  2. ^ Jasna Góra”. © 1998-2008 Copyright by Klasztor OO. Paulinów Jasna Góra - Częstochowa. 2008年10月22日閲覧。

3. Kurpik, Wojciech (2008). "Częstochowska Hodegetria" (in Polish, summary in English, Hungarian). © Wydawnictwo Konserwatorów Dzieł Sztuki, Wydawnictwo Bernardinum, Łódź-Pelplin. pp. 302

外部リンク

座標: 北緯50度48分45秒 東経19度05分50秒 / 北緯50.81250度 東経19.09722度 / 50.81250; 19.09722



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヤスナ・グラ修道院」の関連用語

ヤスナ・グラ修道院のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヤスナ・グラ修道院のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヤスナ・グラ修道院 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS