137日に渡る闘病の末に安楽死とは? わかりやすく解説

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137日に渡る闘病の末に安楽死

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 21:07 UTC 版)

サクラスターオー」の記事における「137日に渡る闘病の末に安楽死」の解説

予後不良宣告されたものの、全や平井希望から直ち安楽死されなかった。代わりにこれまで前例のない延命治療が行われることとなり、1988年1月1日には、特別医師団結成した厩舎スタッフは、通常業務終えてから自主的に参加し昼夜問わずサクラスターオー寄り添った有馬記念翌日12月28日美浦行われた精密検査では、命に別条はないとの診断1988年1月には、脱臼部分支える「副木」や、L字型特殊な蹄鉄特殊なギプス装着したことで小康状態保ち一時患部平熱になることもあった。 ところが4月に入ると、特殊ギプスでは耐えられなくなってしまった。そこで大安4月8日に、28人のスタッフと3人の執刀医参加する手術実施3時間かけて患部にスチールプレートを埋め込みボルトによる固定成功した。しかしまもなく、馬房内で動いたことでプレート飛び出てしまい、4月23日に再び5時間の手術を決行25日には、ついに自力寝たり起きたりすることができなくなるほど悪化した5月5日にいったん平熱に戻るも、8日転倒固定したボルト取れてまったり身体の一部の皮がめくれて、肉がむき出しの状態になるなど衰弱有馬記念時には450キログラムあった体重は、脚元へ負担軽減させるために痩せさせられ300キログラムを割るまでになった12日には、再び発熱し立ち上がることができなくなった午後6時立ち上がろう頑張ったところ、患部反対側の右前第一第二関節脱臼発症両前脚の脱臼となり、起立不能至った衰弱死一歩手前だったから、安楽死させたということだね。もうこれ以上めだっていう体力衰えがあったし…。(中略)みんな相談した。それで"わかった、もう楽にしてやれ"ということになって最終的には俺が決めた生かすだけならもうしばらく生かすことはできたよ。でも、種馬として残すには無理な状態だったし、もし奇跡的に生き延びて牧場帰ったとしても、スターオーにかかりっきり厩務員さんが10人ぐらい要るそういうこと総合的に考えて判断したんだ — 平井雄二 午後9時56分、診療所にて安楽死処置がなされ、午後10時2分、5歳死亡する5月18日美浦馬頭観音にて葬式執り行われた。鬣は美浦の他に、東京競馬場馬頭観音にも納められた。ただ生前使用したメンコについては、平井は「天国行ってまで走らなくてもいい」と考えて馬頭観音納めることはしなかったという。17日には、亡骸冷凍したうえで、藤原牧場輸送、墓が建立された。闘病中は、ファンから手紙電話千羽鶴届きサクラスターオー馬房並べられていた。中にはフランスからのものもあったという。 全や平井延命選択した理由は、二冠馬サクラスターオー優秀な「血」を残すために、種牡馬させたい考えていたためである。厩務員萩原は、有馬記念から死亡するまで休むことなく働き続け平井は腕が上がらなくなるまでサクラスターオー全身マッサージ施した萩原は「(サクラ)スターオーが直るためなら、自分身体壊れたていいんだ。スターオーに良い思い出をたくさんもらったんだから、つらい時は助けてあげなくちゃ…。」と述べていた。東信二の妻、東葉によればサクラスターオー死後の萩原は「身体は一まわりやせてしまい、手にはタコ中略菊花賞時の写真比べると、年をとったようにやつれていた」状態であった。また萩原だけではなく平井65キロから10キロ以上痩せるなど、厩舎全体消耗厩舎所属他の馬勝利して盛大に祝えず、他のオーナー食事誘われても断らざるを得なかった。平井は、闘病中の厩舎様子を「重病人を抱えた家」と表現している。 安楽死処分下した平井には、実情知らないファンから「馬が可哀想」というような批判抗議があった。平井は、そのようなに対して以下のように答えている。 殺してしまうのは可哀相〔ママ〕だなんて気持ちは、俺の場合は全然ない。逆に殺してあげなきゃ可哀相だ、という場合がほとんどだ。脚がブラブラで、血が吹きママ出していて、皮一枚つながっているような馬を殺しちゃ可哀相だなんて、本当にそう思うかい?冗談じゃない殺してあげなきゃ可哀相なんだ。大体、俺たちが馬を安楽死させる時、どういう気持ちでいることか…。俺はスターオーが可哀相だった思うよ。あれほど怪我は、本来早く注射打って楽にさせてやるべきなんだから。日本サラブレッドのために、お前、もう少し頑張れってみんなで号令かけてたんだ。あいつもよく頑張ってくれたけど、これ以上はもう手を貸しようがないとなったときに、仕方がないから命をとるような結果になったんだ。本当ならあのときすぐに線を引くきだったんだろうけど。傍らから見ている人がい感情的な"可哀相"と、俺たちの"可哀相"は全然違うんだ。例えば、落馬して鎖骨折った騎手がいるとする。"ああ、怪我をして可哀相に"と思うでしょ。でも、そうじゃない。骨なんかいつかはくっつくんだから。その騎手にとってそれ以上可哀相なことは、休んでいる間にそれまで自分乗っていた馬をとられてしまうことなんだ。同じようなことで、安楽死についても俺たち競馬人は俺たちなりの捉え方をするし、またなければならないんだよね。 — 平井雄二

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