専制公領成立以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 03:06 UTC 版)
「モレアス専制公領」の記事における「専制公領成立以前」の解説
ローマ帝国の東西分裂 (395年) に際して東ローマ帝国の一部となったペロポニソス半島は、6世紀にスラヴ人の侵入を受け、その大半を占拠されてしまう。コリンソス、スパルタ人が移り住んだモネンヴァシアなど、僅かに半島東部の沿岸地帯のみがギリシア系住民の手に留まり、セマ・エラス(7世紀末創設)に組み込まれて東ローマ支配再建の拠点となっていく。スラヴ人の征服と同化は10世紀にはほぼ完了し、半島はセマ・エラスから分割されてセマ・ペロポニソスという独立の行政区分を形成する事となった。しかし、タイゲトス山脈に居住するメリング族、半島南部に居住するエゼレト族など、一部のスラヴ部族は同化されることなく存続していた。 ペロポニソス半島は、東ローマ帝国の首都であるコンスタンティノポリスから遠隔の地域であった事もあって、帝国の中央権力の統制があまり強く及ばず、大土地所有有力者が大きな勢力を持った。帝国の支配権が揺らぎ始めた12世紀後半にアルゴスを拠点に台頭したレオン・スグロスのような半独立の君主もこうした有力者の出身であると思われる。 第4回十字軍(1204年)の結果、東ローマ帝国は解体されてその旧領土にはラテン帝国が建設された。各地は十字軍士が事前の協定に基づいてそれぞれに領地として受け取る事になったが、ペロポニソス半島はフランス・ブルゴーニュの騎士ギヨーム1世・ド・シャンリットとシャンパーニュの騎士ジョフロワ1世・ド・ヴィルアルドゥアンに与えられた。彼らはアカイア公国を建国し(1205年)、スグロスら在地有力者の抵抗を排除して半島を征服していった。
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