専制国家・軍事国家・独裁政治国家の国家元首
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 23:59 UTC 版)
「元首」の記事における「専制国家・軍事国家・独裁政治国家の国家元首」の解説
形式的には共和制などの政体を採っているものの、実際には終身大統領のような独任制の元首が強大な政治的権限を有している。軍部・宗教団体・部族・外部勢力といった特定の集団が権力を掌握し、その代表者が元首に就任していることが多い。これらの場合、形式的に議会は存在していても、それは国家元首や特定集団の追認機関に過ぎない。民主的で公正な選挙が行なわれていないこともよく見られる。北朝鮮、アフリカの多くの諸国や、いわゆる「開発独裁」制を敷く国家、かつての南米の多くが、これに分類される。 軍事国家では、軍部出身の大統領が国家元首となる場合や、軍事政権が樹立した「○○評議会」(革命評議会、救国評議会、国家評議会など)議長が国家元首の役割を果たす場合、などがある。 1988年9月から2011年2月までのミャンマーの国家元首は、国家平和発展評議会議長(ソウ・マウン、タン・シュエ)だった。同国は2011年2月に大統領制に移管し、選挙の結果としてテイン・セイン首相が大統領に就任した。大統領制移管後も暫くは、国家平和発展評議会議長のタン・シュエが国家元首と目されていたが2011年3月に国家平和発展評議会は解散となり、タン・シュエは政治的影響力を行使しなくなった。軍事政権の基盤は与党の連邦団結発展党に引き継がれ、2011年3月の国家平和発展評議会解散後の国家元首は名実ともに大統領のテイン・セインになった。それ以降、ミャンマーは少しずつ民主化路線を受け入れていき、2016年3月30日に国民民主連盟が選出したティン・チョーが大統領に就任し、54年ぶりの文民大統領が誕生した。 モーリタニアでは2008年に軍事クーデターが起こって大統領が失脚し、軍事政権の高等国家評議会議長(ムハンマド・ウルド・アブデルアズィーズ)が国家元首となった。2009年、大統領選が実施されて形式的には民政移管を果たし、国家の形態も大統領制に戻った。ただ、新しい大統領となったのは前高等国家評議会議長のムハンマド・ウルド・アブデルアズィーズであった。 かつてのナチス・ドイツでは、1934年8月2日に発効した「国家元首に関する法律」によって、それまで国家元首であった大統領と首相の職務が統合され、指導者および首相であるアドルフ・ヒトラー(Der Führer und Reichskanzler Adolf Hitler)個人に大統領権限が委譲された。これはヒトラーが民族共同体の指導者であるという指導者原理に基づくものであり、法律や命令を必要とせず、発言すべてが「法」となる存在となった(総統を参照)。 ナチス・ドイツの支配下にあったクロアチア独立国(1941年 - 1945年)では、建国当初の国家元首は国王(トミスラヴ2世)であった。しかしこの地位はまったく形式上のもの(トミスラヴ2世は終始イタリアに居住し、クロアチアには足を踏み入れることがなかった)であり、国家の最高指導者はポグラヴニク(国家指導者または総統と訳される)の称号を名乗るアンテ・パヴェリッチであった。さらに、1943年のイタリア敗戦にともなってトミスラヴ2世国王が退位したため、パヴェリッチはポグラヴニクの称号のもとで名実ともに国家元首となった。
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