ソウ・マウンとは? わかりやすく解説

ソウ・マウン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/01 01:32 UTC 版)

ソウ・マウン
စောမောင်

任期 1989年6月18日1992年4月23日
首相 ソウ・マウン(兼務)

任期 1988年9月18日 – 1989年6月18日
首相 ソウ・マウン(兼務)

任期 1989年6月18日 – 1992年4月23日
国家法秩序回復評議会議長 ソウ・マウン(兼務)
内閣 ソウ・マウン内閣ビルマ語版

ミャンマー連邦
初代 国防大臣英語版
任期 1989年6月18日 – 1992年3月19日
内閣 ソウ・マウン内閣

ミャンマー連邦
初代 外務大臣英語版
任期 1989年6月18日 – 1991年9月17日
内閣 ソウ・マウン内閣

任期 1988年9月21日 – 1989年6月18日
国家法秩序回復評議会議長 ソウ・マウン(兼務)
内閣 ソウ・マウン内閣

ビルマ連邦
第11代 国防大臣英語版
任期 1988年9月18日 – 1989年6月18日
内閣 ソウ・マウン内閣

ビルマ連邦
第13代 外務大臣英語版
任期 1988年9月18日 – 1989年6月18日
内閣 ソウ・マウン内閣

任期 1988年7月28日 – 1988年9月18日
内閣 トゥン・ティン英語版内閣

出生 1928年12月5日
イギリス領ビルマ マンダレー地方域マンダレー
死去 (1997-07-24) 1997年7月24日(68歳没)
ミャンマー ヤンゴン地方域ヤンゴン
政党 ビルマ社会主義計画党→)
無所属
配偶者 エイ・イー
子女 ティハ・ソウ
ケイ・ティ・ソウ
トゥラ・ソウ
宗教 上座部仏教
ソウ・マウン
စောမောင်
所属組織 ミャンマー陸軍
軍歴 1945年1992年
最終階級 上級大将
指揮 国軍総司令官
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ソウ・マウンミャンマー語: စောမောင်, ラテン文字転写: Saw Maung, 1928年12月5日[1] - 1997年7月24日)は、ミャンマー軍人政治家。民族はビルマ族1988年から1992年にかけて国家法秩序回復評議会(SLORC)議長(国家元首)・首相・国防相を務め、独裁的な政治を行った。また、1988年から1991年までは外相も務めていた。

経歴・概要

1928年12月5日上ビルママンダレーに生まれる。元電気技師。1949年ビルマ国軍に入る。1950年曹長になる。1952年ビルマ士官訓練校(OTS)を卒業し(第6期)少尉に任官する。1965年第5歩兵大隊副大隊長を経て、1967年少佐に昇進、第29歩兵大隊長、第47歩兵大隊長を歴任する。1970年北西軍管区第一作戦参謀。1972年北東軍管区副司令官。1975年第99歩兵師団長。1976年北部軍管区司令官。1979年南西軍管区司令官。1981年ビルマ国防省軍務局長。1983年陸軍参謀次長を経て1985年国軍総司令官となった。士官訓練学校(OTS)出身者初の国軍総司令官だった。

国家法秩序回復評議会(SLORC)議長

1988年、喫茶店でのちょっとした喧嘩をきっかけにミャンマー全土で民主化運動が巻き起こった。当初、平和的だったデモは、やがて略奪・放火などの暴力行為にエスカレートしていき、国軍のスパイの疑いをかけられた者が斬首されるという事件も多発。さらにビルマ共産党(CPB)がこれを奇貨として政権を掌握しようと、密かにデモ隊の中に工作員を紛れこませたり、アメリカの戦艦4隻が領海侵犯するという事態も生じた。これを重く見たソウマウンとキンニュンネウィンに相談したところ、クーデターの決行を促され、9月18日、国軍はクーデターを決行し、国家秩序回復評議会(SLORC)を設置して、ソウマウンが議長に就任した[2]

軍政のトップだったが、次のような言葉を残して、外交は第1書記のキンニュンに一任していた。

キンニュン君、私はもうインタビューに答えない。君が代わりに話すべきことを話してくれ。私はもう説明しすぎて声が出ないから。彼らが我が国の内情を知らないから、説明してもわかってくれない[3]

キンニュンによれば、ソウマウンは非常に生真面目な人物で、部下の報告書は丹念に読んでコメントを付け、深夜まで仕事や読書をしていたのだという。しかし、そのような性格が災いしたのか、次第に奇行が目立つようになり、常に腰にピストルを入れたベルトを巻き、座っている時には、机の上にピストルを置くようになった。テレビ演説でパガン朝チャンシッタ王の話を繰り返したり、自分は黒魔術師ではないと言ったり、当時自ら発動した戒厳令を「無法に等しい」と述べたり、意味不明な言動を繰り返したこともあった[4]。 1991年2月のイギリスの『タイム誌』には次のような記事が載っている[4]

駐在外交官らによれば、ソウマウン将軍の精神状態が疑わしいことは、数ヶ月前から広く知られていた。ソウマウン将軍がとりとめもなく、辻褄の合わない演説をするようになったのがきっかけだった。暴力を振るうようになったので、しばらく入院させされた。家具を蹴ったり、自分の体を物に打ちつけたりして負傷したともいわれる。ヤンゴンを訪問した外国高官の中には、ソウマウンは歯痛のため面会できないと言われた人もいる。

キンニュンとタンシュエがネウィンに相談したところ、タンシュエと交代するようにアドバイスされ、後日、SLORCのメンバーと閣僚を集めて、SLORC議長職をソウマウンからタンシュエに交代することが決定された[5][6]

1997年7月24日、心臓発作のため死去。68歳。[7]

脚注

  1. ^ 『軍政ビルマの権力構造 ネー・ウィン体制下の国家と軍隊 1962 - 1988』p262
  2. ^ キンニュン(上) 2020, pp. 50–66.
  3. ^ キンニュン(上) 2020, p. 250.
  4. ^ a b ベネディクト・ロジャーズ著、秋元由紀訳、根本敬監修『ビルマの独裁者タンシュエ』白水社、2011年11月、107頁。 
  5. ^ キンニュン(上) 2020, pp. 125–128.
  6. ^ キンニュン(上) 2020, pp. 97–100.
  7. ^ Heroes and Villains”. The Irrawaddy March 2007. 2008年11月26日閲覧。

参考文献

キンニュン『私の人生にふりかかった様々な出来事―ミャンマーの政治家 キン・ニュンの軌跡〈上巻〉』三恵社、2020年3月26日。ISBN 978-4866931944 

関連事項

外部リンク

公職
先代
自身
(ビルマ連邦国家法秩序回復評議会議長)
ミャンマー連邦国家法秩序回復評議会議長
初代:1989年6月18日1992年4月22日
次代
タン・シュエ
先代
自身
(ビルマ連邦首相)
ミャンマー連邦首相
初代:1988年9月18日1992年4月22日
先代
自身
(ビルマ連邦国防大臣)
ミャンマー連邦国防大臣英語版
初代:1989年6月18日1992年3月19日
先代
自身
(ビルマ連邦外務大臣)
ミャンマー連邦外務大臣英語版
初代:1989年6月18日1991年9月17日
次代
オン・ジョー英語版
先代
マウン・マウン
ビルマ連邦社会主義共和国大統領
ビルマ連邦国家法秩序回復評議会議長
初代:1988年9月18日1989年6月18日
次代
自身
(ミャンマー連邦国家法秩序回復評議会議長)
先代
トゥン・ティン英語版
(ビルマ連邦社会主義共和国首相)
ビルマ連邦首相
第10代:1988年9月18日1989年6月18日
次代
自身
(ミャンマー連邦首相)
先代
自身
(ビルマ連邦社会主義共和国国防大臣)
ビルマ連邦国防大臣英語版
初代:1988年9月18日1989年6月18日
次代
自身
(ミャンマー連邦国防大臣)
先代
イェ・カウン
(ビルマ連邦社会主義共和国外務大臣)
ビルマ連邦外務大臣英語版
初代:1988年9月18日1989年6月18日
次代
自身
(ミャンマー連邦外務大臣)
先代
チョー・ティン英語版
ビルマ連邦社会主義共和国国防大臣英語版
第4代:1988年7月28日1988年9月18日
次代
自身
(ビルマ連邦国防大臣)
軍職
先代
自身
(ビルマ国軍総司令官)
ミャンマー国軍総司令官英語版
初代:1989年6月19日1992年4月22日
次代
タン・シュエ
先代
チョー・ティン英語版
ビルマ国軍総司令官英語版
第8代:1985年11月4日1989年6月19日
次代
自身
(ミャンマー国軍総司令官)




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