サン・ユとは? わかりやすく解説

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さん‐ゆ【産油】

読み方:さんゆ

石油生産すること。多く生産した石油輸出することを含めていう。「—国」


サン・ユ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/31 09:01 UTC 版)

サン・ユ
စန်းယု

サン・ユ(1950年代頃撮影)

任期 1981年11月9日1988年7月27日
首相 マウン・マウン・カ英語版

任期 1974年3月4日 – 1974年7月3日
内閣 セイン・ウィン英語版内閣

ビルマ連邦
第10代 国防大臣英語版
任期 1972年4月21日 – 1974年3月4日
内閣 第2次ネ・ウィン内閣

出生 (1918-03-03) 1918年3月3日
イギリス領ビルマ バゴー地方域セゴン
死去 (1996-01-28) 1996年1月28日(77歳没)
ミャンマー ヤンゴン地方域ヤンゴン
政党 ビルマ社会主義計画党
出身校 ラングーン医科大学英語版
配偶者 タン・シェイン
子女 4人
宗教 上座部仏教
サン・ユ
စန်းယု
所属組織 ビルマ国軍
軍歴 1942年 - 1974年
最終階級 大将
指揮 ビルマ国軍司令官
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サン・ユミャンマー語: စန်းယု, ラテン文字転写: San Yu, 1918年3月3日 - 1996年1月28日)は、ビルマ(現ミャンマー)の軍人政治家1962年クーデターを主導したネ・ウィンの側近[1]客家華人[2][3]

経歴

1962年3月2日ネ・ウィン将軍率いるビルマ国軍クーデターを起こし、ビルマの政権は議長のネ・ウィン他16名の国軍幹部で構成された連邦革命評議会が握ることになった[4]。西北軍管区司令官のサン・ユ陸軍准将はこの連邦革命評議会の初代議員の1人だった[5]。既存の政党から反発を受けて統一戦線の結成に失敗したネ・ウィンが同年7月4日ビルマ社会主義計画党(BSPP)を結成すると、サン・ユはこの党の最高幹部組織である党組織中央委員会の副委員長となった[6]

1971年6月28日、BSPPの第1回党大会が開催され、国家の事実上の最高意思決定機関として中央執行委員会が設置された[7]。このとき、サン・ユは第1期中央執行委員15人の内の1人となった[8]。彼は当時、副首相、財務相、国家計画相、陸軍参謀次長を兼務していた[8]

1981年11月9日、ネ・ウィン大統領が辞任し、サン・ユが後任の大統領に選出された[9]。当時、彼は国防相を務めていた[10]。ネ・ウィンの辞任の理由は老齢で健康状態が良くなかったこと、権力禅譲の前例を作りたかったことが挙げられていた[9]。なお、ネ・ウィンはその後もBSPP党議長として国政に関わることになった[9]

1983年10月、ラングーン事件が発生した。ラングーン市(現ヤンゴン市)にあるアウンサン廟で当時ビルマを訪問していた大韓民国大統領全斗煥らを標的とした爆弾テロ事件が発生し、韓国閣僚4人を含む多数の死者を出した。翌月、ビルマ政府は北朝鮮政府の指示による犯行と断定し、北朝鮮との外交関係を断絶した[11]

1988年3月頃から学生による反政府運動が発生し、7月末にBSPPの臨時党大会と人民議会英語版臨時会期が開催され、サン・ユ大統領やネ・ウィン議長など政府首脳が退陣する事態に発展した[12]。その後はセイン・ルイン政権が成立したものの、民主化運動が激化しわずか12日で退陣した[12]

1996年1月28日、ヤンゴンで死去した[10]

思想

1965年11月の第1回党セミナーで、当時書記長だったサン・ユは「国軍は政治闘争の中で生まれ、さまざまな武装闘争を経験してきた。しかし、一時期、自らの役割について『軍にとって政治は無関係だ。経済や社会についても軍の仕事ではない。われわれの唯一の義務は国防だ』と考えるようになった。こうした狭い了見のために、国軍は革命の遺産を失いかけそうになった。しかし、ネ・ウィン将軍の指導により、国軍は自らの大切な遺産を取り戻したのである」と語った。上智大学の根本敬は、この発言は国軍が自らを「革命を推進する政治的な軍」だと認識していることを示していると捉えた[13]

脚注

出典

参考文献

外部リンク

公職
先代
ネ・ウィン
ビルマ連邦社会主義共和国大統領
第2代:1981年11月9日1988年7月27日
次代
セイン・ルイン
先代
自身
(ビルマ連邦国防大臣)
ビルマ連邦社会主義共和国国防大臣英語版
初代:1974年3月4日1974年7月3日
次代
ティンウー
先代
ネ・ウィン
ビルマ連邦国防大臣英語版
第10代:1972年4月21日1974年3月4日
次代
自身
(ビルマ連邦社会主義共和国国防大臣)
軍職
先代
ネ・ウィン
ビルマ国軍総司令官英語版
第5代:1972年4月20日1974年3月1日
次代
ティンウー


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