ローマ帝国の掠奪と貢献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/25 17:27 UTC 版)
「ラス・メドゥラス」の記事における「ローマ帝国の掠奪と貢献」の解説
ラス・メドゥラスの金鉱はローマ帝国によって根こそぎ持ち去られ、土地の人々にはほとんど何も残らない跡地が返されたが、ラス・メドゥラスの金は陸路でローマに運ばれたのであり、その集積地であった都市アストルガを始めとする周辺地域は古代ローマの優れた土木工学によるインフラ整備が進み、また、ローマ人の洗練された文化も大いに伝播することとなった。例えば、モザイクによる建築や壁画の文化、様々な肉の保存食文化などは、当時のローマ人がラス・メドゥラス周辺地域に持ち込んだものを地元民が発展させてきた経緯がある。 また、現在のラス・メドゥラス一帯に繁茂する森林はほとんど全てが栗の木であるが、全盛期には2万人を数えたとされる当時の鉱山労働者たちの食料を補うものとして、ローマ帝国が農耕に不向きな痩せた土地でも育つことを事由に植え育てたのが起源であるといわれている。ローマ人が去った後のこの地の貧しい暮らしを支えたのもこの栗の森だったと周辺住民は言い伝えているが、生い茂る栗の森がラス・メドゥラスの地形の崩壊を防いできたことも指摘されている。
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