テオドシウス2世の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 00:22 UTC 版)
フラウィウス・アルダブル・アスパルは、東ローマ皇帝テオドシウス2世に仕えたアラン人の将軍アルダブリウス(英語版)の子として生まれた。 425年、アスパル親子はテオドシウス2世より西ローマ皇帝ヨハンネスの討伐を命じられ、アスパルは騎兵長官として、父アルダブリウスは歩兵長官としてイタリアへ侵入し、同年7月までに皇帝ヨハンネスや西ローマ帝国の高官らを殺害した。まもなくヨハンネス側の将軍アエティウスが援軍を引き連れてイタリアへ駆けつけてきたが、アスパルはアエティウスと対峙した後、彼をガリアのマギステル・ミリトゥムに任命する条件でアエティウスと和睦した。 431年から434年にかけて、アスパルはヴァンダル族の侵入からカルタゴを防衛した。441年にフン族がイリュリクムで略奪を開始すると、アスパルは西ローマ帝国の防衛から呼び戻された。アスパルは442年初頭にフン族の王ブレダおよびアッティラと交渉を行い、略奪を翌443年まで停止させた。 当時アスパルは東ローマ帝国において最も力を持った人物の一人であった。父アルダブリウスは427年に、アスパルは434年に、そしてアスパルの子アルダブリウス(祖父と同名)は447年に、それぞれテオドシウス2世より執政官に任命されている。
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