テオドシウスの側近として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 18:17 UTC 版)
「スティリコ」の記事における「テオドシウスの側近として」の解説
若くしてローマ軍に入り、当時帝国東部を統治していたテオドシウス1世のもとで頭角を表す。このテオドシウスは東西帝国領を治める最後の皇帝となる。384年、テオドシウスの命でサーサーン朝(ペルシア)のもとへ、アルメニア王国の分割に関する和平交渉の使節として赴いた。交渉は成功し、スティリコはテオドシウスの護衛隊長に取り立てられ、西ゴート族からの国土防衛を任される。スティリコの能力を認めたテオドシウスは、姪のセレーナを自分の養女とした上で、彼と結婚させる。二人の間には長男エウケリウス(オイヒュリウス)、長女マリア、次女テルマンティアの1男2女が生まれた。そして392年、ウァレンティニアヌス2世が暗殺されるとテオドシウス1世の元で軍の一翼を指揮、ローマとの同盟を結んだ西ゴート族の族長アラリック(後のアラリック1世)とともにフリギドゥスの戦いで勝利を収める。奮闘したスティリコは西ローマ帝国の防衛の責任に足りうる人物としてテオドシウスから認められ、高位の軍司令官(マギステル・ミリトゥム)の一人として任命された。
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