テオドラとマロツィア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/11 22:02 UTC 版)
「ポルノクラシー」の記事における「テオドラとマロツィア」の解説
テオドラ (Theodora (senatrix)) は、ローマ市の執政であったトゥスクルム伯テオフィラクト(テオフュラクトゥス) (Theophylact I, Count of Tusculum) の妻である。テオフィラットの間にはマロツィアと、テオドラ(テオドラ2世) (de:Theodora II. von Tusculum) を生んだ。一方でテオドラは、のちに教皇となるヨハネス10世(第122代教皇、在位:914年 - 928年)らの愛妾にもなっていた。 娘のマロツィア(892年頃 - 932年以後)は、数度の結婚をした。最初の夫はスポレート公アルベリーコ1世(アルベリクス)で、のちに教皇となるヨハネス11世(910年? - 935年/第125代教皇、在位:931年 - 935年)、のちにスポレート公を継ぐアルベリーコ2世(912年頃 - 954年)、ダヴィドを生んだ。しかしマロツィアは実はセルギウス3世(第119代教皇、在位:904年 - 911年)の愛妾になっており、表向きアルベリーコ1世との間の子とされているヨハネス11世はセルギウス3世との間の子であるといわれる。マロツィアはSenatorix(女元老院議員の意)という称号を創り、自ら称した:112。
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