テオドシウス・ティングとは? わかりやすく解説

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テオドシウス・ティング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/21 07:20 UTC 版)

テオドシウス・スティーヴンス・ティング(Theodosius Stevens Tyng、1849年11月26日 - 1927年10月19日)は、米国聖公会アメリカ人宣教師、教育者。アメリカでの伝道活動の後、日本に派遣され、立教大学の前身の一つである聖テモテ学校を再興し、大阪・英和学舎(1887年、立教大学校と合併)を設立[1]。熱心な指導により、優れた聖職者、実業人、教育者を輩出した。ジェームズ・ガーディナーの後任として立教学校(現・立教大学)校長も務めた。


注釈

  1. ^ 11月末に横浜に着いたとティングの報告書(レポート)にあることから、11月末に横浜港に到着した後、東京に11月25日に到着したと思われる[4]
  2. ^ 同年11月24日に東京に到着したという資料もある[2]
  3. ^ ウィリアムズ主教は、大阪の聖テモテ学校の閉鎖に大変心を痛めており、再び同じような仕事を始めたいと願い、ティングに聖テモテ学校を再開する仕事を依頼した。ティングは、まだ日本に来てわずか9ヵ月で、このような責任ある仕事をするには早すぎると思ったが、ウィリアムズの学校を必要とする考えは大きく、ティングはそれに従った。また、当時、米国聖公会・元中国伝道部のエドワード・サイル東京大学で教鞭を執っていたことから、ティングたちはサイルを新しい聖テモテ学校の教師に任命するように請願した。しかし、サイルは任命されず、他の宣教師も派遣されなかったことから、ティングは大阪の学校が続いた7年間の間、ミッションの他のメンバーや妻から大きな助けも受けるとともに、主に日本人教師を活用して学校運営を行った[4]
  4. ^ バージニア教区のヘンリー・D・ページは、1884年3月11日に任命され、同年5月19日に東京に到着[2]
  5. ^ ニュージャージー州ホーボーケンのジョン・H・モリニューは、1884年(明治17年)12月9日に宣教師に任命され、1885年(明治18年)3月31日に東京に到着した。同年10月28日に、モリニューは助祭に任命された[2]

出典

  1. ^ a b c d 平沢信康「近代日本の教育とキリスト教(4) : 明治初期・欧化主義の時代におけるキリスト者の教育活動」『学術研究紀要 / 鹿屋体育大学』第14号、鹿屋体育大学、1995年10月1日、63-80頁。 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w Project Canterbury『An Historical Sketch of the Japan Missionof the Protestant Episcopal Church in the U.S.A. Third Edition.』 New York: The Domestic and Foreign Missionary Society of the Protestant Episcopal Church in the United States of America, 1891.
  3. ^ a b c 『第一節 長崎通詞への英語教育と大阪の英和学舎』 (PDF) 立教学院百五十年史(第1巻),第二章
  4. ^ a b c Project Canterbury『Thirty Years in Japan』Report of Theodosius Stevens Tyng to the Board of Missions of the Protestant Episcopal Church in the United States of America, and the Bishop of Kyoto. Cambridge, Massachusetts: Privately Printed,1909
  5. ^ a b 学校法人桃山学院・桃山学院史料室『大阪川口居留地・雑居地跡』
  6. ^ a b c d e 『立教大学新聞 第89号』 1930年(昭和5年)6月18日
  7. ^ 講談社「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」 『ラニング』 コトバンク
  8. ^ a b 平沢信康「近代日本の教育とキリスト教(7) : 1880年代におけるキリスト教徒の教育活動<2> - 大学設立構想」『学術研究紀要 / 鹿屋体育大学』第18巻、鹿屋体育大学、1997年9月1日、31-42頁。 
  9. ^ 和歌山県ふるさとアーカイブ『紀の国の先人たち 河島 敬蔵』
  10. ^ 小川智瑞恵「立教大学の形成期における大学教育理念の模索 : 立教学院ミッションに着目して」『キリスト教教育研究』第32巻、立教大学、2015年6月、33-62頁。 
  11. ^ 香川孝三「政尾藤吉伝(1) : 法律分野での国際協力の先駆者」『国際協力論集』第8巻第3号、神戸大学大学院国際協力研究科、2001年2月、39-66頁、ISSN 0919-8636 
  12. ^ 中川良和「奈良英学史抄」『英学史研究』第1978巻第10号、日本英学史学会、1977年、121-134頁、ISSN 1883-9282 
  13. ^ 奈良市 奈良市史・通史四『第三節 文明開化の世相』
  14. ^ 名古屋大学大学院法学研究科『人事興信録』データベース
  15. ^ 立教学院史資料センター 立教学院の歴史
  16. ^ 立教学院歴代首脳者 旧制大学・大学・工業理科専門学校 (PDF)
  17. ^ 立教学院歴代首脳者 学院 (PDF)


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