マークウィス・ゴードンとは? わかりやすく解説

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マークウィス・ゴードン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/09 18:34 UTC 版)

マークウィス・ラファイエット・ゴードン
Marquis Lafayette Gordon
M・L・ゴードン宣教師の肖像
生誕 (1843-07-08) 1843年7月8日
アメリカ合衆国ペンシルベニア州ウェインズバーグ
死没 (1900-11-04) 1900年11月4日(57歳没)
アメリカ合衆国マサチューセッツ州
出身校 ウェインズバーグ大学
アンドーヴァー神学校
職業 宣教師同志社英学校神学教師
著名な実績 梅本町公会(現・日本基督教団大阪教会)設立
元会津藩士山本覚馬をキリスト教に導く
宗教 キリスト教カンバーランド長老教会
アメリカン・ボード会衆派))
配偶者 リンダ・ゴードン

マークウィス・ラフェイエット・ゴードン(Marquis Lafayette Gordon、1843年7月18日 - 1900年11月4日)は、明治時代日本で活躍した、アメリカン・ボードアメリカ人宣教師カンバーランド長老教会教職者ゴルドンM・L・ゴードンとも表記される。

経歴

1843年、ペンシルベニア州ウェインズバーグで生まれる。ウェインズバーグ大学を卒業、アンドーヴァー神学校を卒業する。さらに、ニューヨークで医学を学ぶ。1872年8月6日、カンバーランド長老教会ペンシルベニア中会にて按手を受ける。

1872年(明治5年)11月、妻リンダと共に、アメリカン・ボードの宣教師として来日する。オラメル・ギューリックと共に、大阪の川口与力町に着任する。ゴードンは自宅で英語塾を初め、30名の日本人が集まり、1873年(明治6年)3月より日曜礼拝を始めると12名の出席者が集まった。ギューリックが神戸に転任すると、ゴードンが説教を受け持った。しかし、ゴードンは眼病に罹っていたので、神戸に治療に行ったり、静養をしていた。1874年(明治7年)5月24日、ゴードンは高木玄真、安田三折ら5名に洗礼を授け、横浜から平井仙次郎が転入して、梅本町公会(現、日本基督教団大阪教会)が設立された。元会津藩士・山本覚馬に出会い、信仰に導く。

1881年(明治14年)5月1日には山崎為徳の友人、片桐清治に洗礼を授ける[1]

1877年(明治10年)に京都に移り同志社英学校神学を教えた。1899年にアメリカに帰国し、翌1900年11月4日にマサチューセッツ州で死去。57歳没。

脚注

  1. ^ 『日本キリスト教歴史大事典』296頁

参考文献

登場作品

  • 八重の桜 - 2013年、NHK大河ドラマ、演:ドン・ジョンソン

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