ヘンリー・セントジョージ・タッカー
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ヘンリー・セントジョージ・タッカー(Henry St. George Tucker、1874年7月16日 - 1959年8月8日)は、米国聖公会総裁主教、立教学院総理。神学博士など4つの博士号を持つ[1]。1907年の立教大学(旧制専門学校)の設立に尽力し、現在の立教学院の基礎を築くとともに、大学の校地購入や日本聖公会大阪教区の設立なども中心的推進役として活躍した。宣教や教育に関する基本的姿勢は、日本人の資質を高く評価・信頼し、その育成を図ろうとするものであった。
- ^ 『立教学院百年史』 221頁
- ^ a b 『来日西洋人名事典』 237頁
- ^ a b c d 『日本キリスト教歴史大事典』 841-842
- ^ a b 『思い出の静かな岸辺を探ねて H.S.タッカー回想録』ヘンリー・セントジョージ・タッカー、松平信久、北條鎮雄 2021年03月 丸善プラネット
- ^ 立教タイムトラベル 第17回「昭和46年、タッカー主教像建つ」
- ^ 立教大学新聞 第205号 1962年12月1日
- ^ 聖路加国際大学『トイスラー小伝』大学史編纂・資料室
- 1 ヘンリー・セントジョージ・タッカーとは
- 2 ヘンリー・セントジョージ・タッカーの概要
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