ティベリオス3世とは? わかりやすく解説

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ティベリオス3世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/24 08:34 UTC 版)

ティベリオス3世[注 1]ギリシャ語: Τιβέριος Γ', ラテン文字転写: Tibérios III)、または出生名でアプシマル(Apsimar / ラテン語: Apsimarus / ギリシャ語: Ἀψίμαρος, ラテン文字転写: Apsímaros, 706年2月15日没)は、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の皇帝である(在位:698年 - 705年)。


注釈

  1. ^ a b 本稿のティベリオスは現代の歴史家からは通常ティベリオス3世と呼ばれるが、最初のティベリウス(在位:14年 - 37年)が代数から除外され、ティベリオス2世と呼ばれることもある。この場合、ティベリウス2世(在位:578年 - 582年)は「ティベリウス1世」として数えられる[24]
  2. ^ 「海のテマ」として知られるキビュライオタイの名が史料に現れるのはティベリオスに関するこの言及が最初であるが、その名が明確に小アジア南部のテマ(軍管区)として言及されるようになるのは732年以降のことであり、当時のキビュライオタイの実態がすでにテマであったのか、あるいは独立した艦隊を指すものであったのかはよくわかっていない[6]
  3. ^ a b 7世紀から8世紀にかけてのビザンツ帝国は国勢の衰えやイコノクラスム(聖像破壊運動)による国内の混乱、さらには残されている史料の乏しさなどを理由として、一般にビザンツ帝国の「暗黒時代」と呼ばれる。特にヘラクレイオス(在位:610年 - 641年)没後の混乱期からニケフォロス1世(在位:802年 - 811年)の治世にかけての出来事の概略を伝える歴史書は実質的に『テオファネス年代記』しかなく、中でも7世紀後半から8世紀前半にかけてはかなり記述が乏しいためにとりわけ情報の少ない時期となっている[18]
  4. ^ 歴史書の『クロニコン・アルティナーテ英語版』はレオンティオスが退位した日付を698年2月15日としている[9]
  5. ^ ウォルター・ケーギなどの一部の学者はヘラクレイオスをティベリオスの兄弟ではなく息子としている[32]
  6. ^ キプロスは686年にビザンツ帝国とウマイヤ朝の間で結ばれた条約によって島から得られる税収を折半する条件の下で両国の共同統治領となっていた[40]。また、ユスティニアノス2世がキプロスの住民をキュジコスへ移した理由は、アラブ軍による最初のコンスタンティノープルの包囲戦の影響によって住民が減少していたキュジコス一帯の水夫不足を補うためであった[41]
  7. ^ マルダイテスはアラビア語でジャラージマと呼ばれる民族的出自のはっきりしないキリスト教徒の集団であり、その故地はシリア沿岸の山岳地帯、すなわちアマヌス山脈英語版レバノン山脈、およびアンチレバノン山脈であった。マルダイテスはこれらの地でかなりの自治権を保持し、ビザンツ帝国とアラブ人勢力の国境地帯の政治状況に応じて名目的な忠義の対象をビザンツ帝国とイスラーム国家の間で相互に入れ替えていた[42]。また、一部のマルダイテスは689年にビザンツ帝国とウマイヤ朝の間で結ばれた条約に基づいてビザンツ領内に移住した[43]
  8. ^ ラルフ=ヨハンネス・リーリエ英語版などの一部の学者は両者の処刑の時期を705年8月21日から706年2月の間としている[9]

出典

  1. ^ Head 1972, p. 101.
  2. ^ a b Brandes 2003, p. 723.
  3. ^ Bryer & Herrin 1977, p. 16.
  4. ^ Brubaker & Haldon 2011, p. 72.
  5. ^ Vasilev 1980, p. 194.
  6. ^ 中谷 2011, pp. 615, 622, 624–625.
  7. ^ a b c d e Moore 1999a.
  8. ^ 中谷 2011, pp. 615.
  9. ^ a b c d e f g Lilie et al. 2013b.
  10. ^ Kaegi 1981, pp. 207 & 318.
  11. ^ 小林 2013, p. 49.
  12. ^ 中谷 2020, pp. 38–39.
  13. ^ 小林 2013, pp. 60–61.
  14. ^ 尚樹 1999, pp. 348–351.
  15. ^ 中谷 2020, pp. 48–49.
  16. ^ 中谷 2020, pp. 58–60.
  17. ^ a b c d e f g Moore 1999b.
  18. ^ 中谷 2020, pp. 45–46.
  19. ^ Jenkins 1987, p. 60.
  20. ^ Jenkins 1987, p. 63.
  21. ^ Kennedy 2007, p. 217.
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  24. ^ Rosser 2001, p. 473.
  25. ^ a b c d Head 1982, p. 51.
  26. ^ a b Haldon 2016, p. 49.
  27. ^ a b Garland 2017, p. 2.
  28. ^ Haldon 2016, p. 185.
  29. ^ Haldon 2016, p. 93.
  30. ^ Penna & Morrison 2016, p. 27.
  31. ^ Ostrogorsky 1956, pp. 116–122.
  32. ^ Kaegi 1981, p. 189.
  33. ^ Brubaker & Haldon 2011, p. 738.
  34. ^ a b Lilie et al. 2013a.
  35. ^ a b Kazhdan 1991, "Tiberios II" (P. A. Hollingsworth), p. 2084.
  36. ^ a b c Treadgold 1997, p. 339.
  37. ^ Bury 1889, p. 355.
  38. ^ a b c d Bury 1889, p. 356.
  39. ^ a b c Kazhdan 1991, p. 2084.
  40. ^ ハリス 2018, p. 121.
  41. ^ 尚樹 1999, p. 354.
  42. ^ Eger 2015, pp. 295–296.
  43. ^ Lilie 1976, pp. 106–107, note 13.
  44. ^ Treadgold 1995, p. 26.
  45. ^ 中谷 2020, pp. 140–141.
  46. ^ a b Bury 1889, p. 357.
  47. ^ 尚樹 1999, pp. 356–357.
  48. ^ 中谷 2013, p. 77.
  49. ^ Ostrogorsky 1956, p. 142.
  50. ^ a b Head 1969, p. 105.
  51. ^ a b Grierson, Mango & Ševčenko 1962, p. 51.
  52. ^ Kaegi 2010, p. 288.
  53. ^ Bryer & Herrin 1977, p. 3.
  54. ^ a b c Sumner 1976, p. 292.
  55. ^ Head 1970, p. 15.
  56. ^ Nicholson 2018, p. 339.
  57. ^ Neil 2000.


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