ヨハネス4世ラスカリスとは? わかりやすく解説

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ヨハネス4世ラスカリス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/27 15:00 UTC 版)

ヨハネス4世ラスカリス
Ιωάννης Δ' Λάσκαρης
Iōannēs IV Laskarēs
ニカイア皇帝
在位 1258年8月18日 - 1261年12月25日

出生 1250年12月25日
死去 1305年
王朝 ラスカリス朝
父親 テオドロス2世
母親 エレナ(イヴァン・アセン2世娘)
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ヨハネス4世ラスカリスギリシア語Ιωάννης Δ' Λάσκαρης (Iōannēs IV Laskarēs)1250年12月25日 - 1305年[1])は、ニカイア帝国の最後の皇帝1258年8月18日 - 1261年12月25日)。

生涯

1258年に父帝テオドロス2世が崩御すると、わずか8歳にして帝位に就くが、摂政ミカエル・パレオロゴスに実権を奪われた上に、共同皇帝の座に就かれた。1261年にミカエルがコンスタンティノポリス奪回を果たして、ローマ皇帝を宣言すると、やがてヨハネスは目を潰されてマルマラ海の城郭に幽閉された。1290年にミカエルの長男アンドロニコス・パレオロゴスを皇帝として承認したと記録されている。

脚注

参考文献

関連項目




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