フラウィウス朝、そして解散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 17:31 UTC 版)
「第4軍団マケドニカ」の記事における「フラウィウス朝、そして解散」の解説
ネロの自殺後、帝国が混乱して4人の皇帝を一度に出す事態になると第4軍団は高地ゲルマニアの総督であったウィテリウスを支持、対立した皇帝オトを敗る。しかしウィテリウスは殺され、ウェスパシアヌスが皇帝となり、新たなフラウィウス朝の始祖となった。 そして70年にゲルマニアでユリウス・キウィリスが起こした反乱を起こすと第4軍団は任地のモグンティアクムを守り、クィントゥス・ペティリウス・ケリアリスのもとで反乱勢力に対して戦った。彼等第4軍団の行動はローマを守る軍隊としてしかるべき態度ではあったが、恐らく先の内乱でウィテリウスを支持した事からウェスパシアヌスから信任される事はなかった事が理由であろうか、第4軍団は解散され、そして新たな軍団第4軍団フラウィア・フェリクスとして再編された。
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