ユリウス・アスクレピオドトゥスとは? わかりやすく解説

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ユリウス・アスクレピオドトゥス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/01 02:00 UTC 版)

ユリウス・アスクレピオドトゥス(Julius Asclepiodotus)は、『ローマ皇帝群像[1]』によると、ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス帝、プロブス帝、ディオクレティアヌス[2]の下に仕えたプラエフェクトゥス・プラエトリオ(道長官)であり、また292年執政官の1人である。296年、彼はカラウシウスアレクトゥスの違法な規則に従って、西ローマ皇帝コンスタンティウス・クロルスブリタンニアローマ帝国の支配を再確立する支援をした。

生涯

293年にカラウシウスを暗殺したアレクトゥスは、コンスタンティウスがブリテン島の奪回を目的とした侵攻を行った296年まで、ブリタンニアの支配を保持した。コンスタンティウスがボノニア(現:ブローニュ=シュル=メール)から海を渡る間、アスクレピオドトゥスは1艦隊とサン・ダン・サンドヴィル英語版ル・アーヴル近くの都市からの軍団を取り、に紛れてワイト島でアレクトゥスの艦隊をすり抜け、おそらくサウサンプトン水路英語版チチェスター近傍に到着し、アレクトゥスの船を焼き払った。

アレクトゥスは海岸から撤退しようとしたが、コンスタンティウス軍により分断され、敗北した。海峡を渡る間に霧によって主部隊から分かれたコンスタンティウスの部隊は、ロンディニウム(現:ロンドン)でアレクトゥスの残党を捕らえ、虐殺した[3]。このアスクレピオドトゥスはディオクレティアヌス帝の伝記を書いたアスクレピオドトゥスと同一人物の可能性がある[4][5]

伝説

アスクレピオドトゥスは中世イングランドの伝説で現地のブリテン王として見られる。ジェフリー・オブ・モンマスの著書『ブリタニア列王史1136年)』は、彼をブリテン人を抑圧したローマ人アレクトゥスに対抗して王位に昇格したコーンウォール公として描いている[6]。彼はロンディニウムの近くでアレクトゥスを破って殺し、自身の軍団で残兵をその地で包囲した。ローマ人たちは最終的にブリテン島からの安全な脱出を条件に降伏し、アスクレピオドトゥスも承諾したが、彼の同盟国ウェネドティア英語版が残兵たちを攻撃し、頭部を切断し、ガロブロック川(現:ウォルブルック川英語版)へと投げ捨てた[7]。アスクレピオドトゥスはその時正式に王となり、10年間公正に統治した。しかしながら、彼の支配はディオクレティアヌス帝時代のキリスト教迫害英語版と同時代であった。ジェフリーは聖アルバン英語版をそのとき殉教させた。これらの残虐行為に対して、コルチェスターコール英語版はアスクレピオドトゥスに対する反乱を導き、彼を殺し、王冠を奪った。

脚注

  1. ^ A collection of biographies of Roman Emperors from 117 to 284 a. D whose complete trustworthiness is debatable.
  2. ^ Historia Augusta: Probus 22; Aurelian 44
  3. ^ Eutropius, Abridgment of Roman History 9.22[usurped]; Aurelius Victor, Liber de Caesaribus 39.42; Panegyric of Constantius 6-17; Orosius, Seven Books of Histories Against the Pagans 7.25 Archived 2006-08-20 at the Wayback Machine; Bede, Historia ecclesiastica gentis Anglorum 1.6
  4. ^ Historia Augusta, "Aurelian" 44
  5. ^ Schmitz, Leonhard (1870). "Asclepiodotus (3)". In Smith, William (ed.). Dictionary of Greek and Roman Biography and Mythology. Vol. 1. p. 383.
  6. ^ Geoffrey of Monmouth, Historia Regum Britanniae 5.4-6
  7. ^ 1860年代オーガスタス・ピット・リバース英語版が多数の人間の頭蓋骨を掘り出した。他の骨はほとんど無く、ロンドンのウォルブルック川の河床から出土した。 (Lewis Thorpe, The History of the Kings of Britain, Penguin, 1966, p. 19).



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