ユリウス・エクスナーとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ユリウス・エクスナーの意味・解説 

ユリウス・エクスナー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 08:55 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ユリウス・エクスナー
Julius Exner
作者不詳の肖像画
生誕 1825年11月30日
デンマーク、コペンハーゲン
死没 1910年11月15日
デンマーク、コペンハーゲン

ユリウス・エクスナー(Julius Exner、1825年11月30日 - 1910年11月15日)はチェコ人を父親に持つデンマークの画家である。デンマーク民衆の生活を描いた風俗画で知られる。クレステン・ダルスゴーやフレゼリク・フェアミーアン(Frederik Vermehren)とともに、デンマークの「ナショナル・ロマンティシズム」の画家である。

略歴

コペンハーゲンに生まれた。父親はチェコ生まれの音楽家で、母親はデンマーク人である。1839年からデンマーク王立美術院で、ヨハン・ルートヴィッヒ・ルンドクリストファー・エカスベアに学んだ。シャルロッテンボー宮殿で行われる展覧会に1844年に初めて出展し、その時代は歴史画を描いていた。1847年に妹の肖像画で、王立美術院のノイハウゼン賞(De Neuhausenske Præmier)を受賞した。1849年に作品がデンマーク王立絵画コレクション(後のDanish National Gallery)に買い上げられた。

「ナショナル・ロマンティシズム」(national romanticism)を推進した、美術史家、批評家のホイエン(Niels Lauritz Høyen)に影響を受けて、デンマーク民衆の姿を描くようになり、アマー島に住み、その地に暮らす人々を描き、高い評価を得た。1853年にトルバルセン賞を受賞した。収集家のハインリヒ・ヒアシュプロングもエクスナーの絵画を購入し、現在のヒアシュプロング美術館に収められている。

1857年と1858年に王立美術院に援助を受けて、イタリアのヴェネツィアなどの各都市、ドレスデンウィーン、スイス、パリなどを旅した。1862年にデンマークの田園詩人、ヴィンダ(Christian Winther)の著作の挿絵も描いた。

1864年に王立美術院の会員になり、1866年にスウェーデン王立美術院の会員に選ばれた。1876年から王立美術院の教授を務めた。1877年から南デンマークのファーン島(Fanø)で夏を過ごすようになり、ファーン島の人々の姿を描いた。1878年のパリ万国博覧会に出展し、1879年からシャルロッテンボー展覧会の委員に選ばれ、委員長も務めた。

作品

参考文献

  • Johann Julius Exner (Danish, 1825-1910) The Knohl Collection
  • P. Johansen, "Julius Exner", s. 143-150 i: Gads danske Magasin, December 1910.
  • P.V. Ørsted, [Julius Exner : en biografisk studie, J.C.Stockholm, 1903.



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ユリウス・エクスナー」の関連用語

ユリウス・エクスナーのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ユリウス・エクスナーのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのユリウス・エクスナー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS