ヨハン・ルートヴィッヒ・ルンド
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ヨハン・ルートヴィッヒ・ルンド Johann Ludwig Lund |
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自画像 (1828)
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生誕 | 1777年10月16日 ホルシュタイン=ゴットルプ公国、キール |
死没 | 1867年3月3日![]() |
ヨハン・ルートヴィッヒ・ルンド(Johann Ludwig Lund、1777年10月16日 - 1867年3月3日)はホルシュタイン=ゴットルプ公領のキールに生まれのデンマークの画家である。
略歴
当時デンマーク王がホルシュタイン=ゴットルプ公を兼ねていた、ホルシュタイン=ゴットルプ公領のキールに生まれた。父親も画家で、父親から絵画を学んだ後、1797年から1799年の間、デンマーク王立美術院でニコライ・アビルゴールに学んだ。同じ頃、美術院で学んでいた、同じくドイツ系のカスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(1774- 1840)と親しくなった。1798年に展覧会で賞を得て、1799年からフリードリヒと、ドレスデン美術アカデミーで学んだ。1800年から1802年の間はパリに出て、ジャック=ルイ・ダヴィッドの工房や、国立高等美術学校(エコール・デ・ボザール)で学んだ。
1802年から1810年までイタリアに滞在し、デンマークに戻り、1814年に王立美術院の会員に選ばれた。1816年から1819年まで再びイタリアに滞在し、カッファレッリ宮殿(Palazzo Caffarelli)で行われたドイツ系の芸術家の展覧会に参加した。キリスト教美術の誠実性と精神性を取り戻そうとする「ナザレ派」の画家たちとも交流した。1819年にデンマークに戻り、王立美術院の教授に任じられた。同時期に教授を務めたクリストファー・エカスベアの画風、題材が日常的、写実的であったのに対して、より精神的、伝統的であった。
作品
参考文献
- Nina Struckmeyer: Lund, Johann Ludwig Gebhard, in: Bénédicte Savoy, France Nerlich (Hrsg.): Pariser Lehrjahre. Ein Lexikon zur Ausbildung deutscher Maler in der französischen Hauptstadt. Band 1: 1793-1843. De Gruyter, Berlin/Boston 2013, ISBN 978-3-11-029057-8, S. 186–188.
- J. L. Lund im Kunstindeks Danmark & Weilbachs kunstnerleksikon (englisch/dänisch)
- Johann Ludwig Lund. In: Hans Vollmer (Hrsg.): Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart. Begründet von Ulrich Thieme und Felix Becker. Band23: Leitenstorfer–Mander. E. A. Seemann, Leipzig 1929, S.465–466.
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