緑楯王ブルータス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/06 01:25 UTC 版)
緑楯王ブルータス Brutus Greenshield |
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伝説的ブリテン王 | |
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在位 | 紀元前967年~紀元前955年頃 |
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子女 | レイル |
父親 | エブラウクス |
緑楯王ブルータス(Brutus Greenshield、ラテン語:Brutus Viridescutum、ウェールズ語:Brutus Darian Las)は、年代記編纂者ジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王史』に語られている、ブリトン人の伝説的王である。彼はエブラウクスの息子である。
ジェフリーの証言
ジェフリーによれば、緑の楯(ラテン語:Viridescutum)という姓のブルータスはエブラウクスの長男であり、エブラウクスの死後、ブリテン島に残った唯一の息子だった。他の息子たちは全員ゲルマニアへ行き、そこで新たな王国を築いていた。父の死後、ブルータスは12年統治を行った。その跡継ぎが息子のレイルであった。ジェフリーの著書に書かれているブルータスに関する記述はここまでである。
エリザベス朝期の文化
イタリアの学者ポリドール・ヴァージルによれば、緑楯王ブルータスは「国内でも戦場でも大いに名を馳せた[1] 」という。一方、エリザベス朝期のイングランドでは、ブルータスは偉大な戦士としての名声を受け、エノーにてフランスに対する遠征を行ったとされている。イギリスの詩人マイケル・ドレイトンは著書『ポリ・オリビオン』において「緑楯王ブルータス、我々はその名を摂理により帰属させた/神がこの土地の最初の征服者であるブルータスを復活させるために」と言及している[2]。ブルータスのエノー征服と思われるものはエドマンド・スペンサーの『妖精の女王』にも登場する。その中で彼は「父親の喪失を修復するために」「スカルディス川の河口でブリュンシルト(エノーの王子)とエノーで二度目の戦い」をしたと述べられている.[3]。この戦いで、彼の緑の楯は血の赤に染まった。緑楯王ブルータスは別の作品でも登場する。国王を題材にしたBrute Greenshieldはアドミラルズ・メンにより上演されたが、そのテキストは失われている。これはジョン・デイとヘンリー・チェットルによって書かれた可能性がある[4]。
ここまで紹介した全ての作品において、緑楯王ブルータスのエノー遠征はイギリスの神話的礎となり、世界にイギリスの影響力を拡大した最初の海外事業となった。1579年にレスター伯爵がイギリス軍を率いてスペイン軍と戦ったため、エノーはエリザベス朝期においても重要な場所であった。緑楯王のエピソードはエリザベス女王が「ベルギークの海岸に白い棒を伸ばす」というマーリンの予言を予感させていたという.[3]。
ポップ・カルチャー
ダンジョン・シンセグループ「Brutus Greenshield」の名前の由来でもある。このグループはBandcampのサイトにていくつかのアルバムをリリースしている。
脚注
- ^ Vergil, Polydore, Polydore Vergil's English History, from an Early Translation, Volume 36, Camden society, 1846, p.34.
- ^ Drayton, Michael, The Works of Michael Drayton, Volume 4, Shakespeare Head Press, 1961, p.141.
- ^ a b Schwyzer, Philip, "Thirteen Ways of Looking at a Welshman" in Maley & Schwyzer (eds), Shakespeare and Wales: From the Marches to the Assembly, Ashgate, 2013, p.33.
- ^ Robert Boies Sharpe, The Real War of the Theaters: Shakespeare's Fellows in Rivalry with the Admiral's Men, 1594-1603; Repertories, Devices, and Types, D.C. Heath, Boston, 1935, p. 104.
参考文献
- ブリタニア列王史(訳:瀬谷幸男、南雲堂フェニックス)
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