ヌメリアヌス
ヌメリアヌス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/17 04:07 UTC 版)
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ヌメリアヌス Numerianus |
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ローマ皇帝 (共同皇帝) |
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ヌメリアヌス
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在位 | 283年12月 - 284年11月 |
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出生 | 253年 |
死去 | 284年11月 アシア |
配偶者 | ルキウス・フラウィウス・アペルの娘 |
父親 | カルス |
母親 | マグニア・ウルビカ[注釈 1] |
マルクス・アウレリウス・ヌメリウス・ヌメリアヌス(ラテン語: Marcus Aurelius Numerius Numerianus, 253年 - 284年11月)は、ローマ帝国の皇帝カルスの次男、カリヌスの弟で共同皇帝(在位:283年12月 - 284年11月)。
父カルスと共にサーサーン朝(ペルシア)に出征するが、父の事故死によりペルシア戦役を中止、兄とともに帝位についた。しかし、引き返す途中、アシアで変死した。その後、軍に擁立され帝位を称したディオクレティアヌスの手により、プラエフェクトゥス・プラエトリオであったルキウス・フラウィウス・アペルがヌメリアヌス謀殺の犯人として処刑された。
脚注
注釈
- ^ 近年までは兄カリヌスの妻で、ヌメリアヌスの義姉と考えられていたが、研究によりそれは間違いで、実際には父カルスの妻であったと考えられている。
出典
参考文献
外部リンク
ヌメリアヌス (283-284)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 10:05 UTC 版)
「ローマ皇帝群像」の記事における「ヌメリアヌス (283-284)」の解説
カルスの次男。父とメソポタミアに従軍、父の死後引き返す途中で義父のアペルが殺した。
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