ローマ皇帝即位前とは? わかりやすく解説

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ローマ皇帝即位前

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 08:29 UTC 版)

ハインリヒ6世 (神聖ローマ皇帝)」の記事における「ローマ皇帝即位前」の解説

1165年ナイメーヘンで、フリードリヒ1世ベアトリクス次子として生まれる。1169年6月4歳ハインリヒバンベルクローマ王ドイツ王)に戴冠された。1184年5月20日聖霊降臨節の日マインツ開かれた帝国集会で、シュヴァーベン公フリードリヒとともに騎士叙された。この集会参加者には贈物与えられ同時に騎士たちのトーナメント開かれる華々しいのだった1184年10月ハインリヒシチリア王コンスタンツェ結婚成立する過去には、1173年ごろにフリードリヒ1世の娘ベアトリーチェシチリア王グリエルモ2世婚姻提案されハインリヒコンスタンツェ縁談1180年ごろから進められていた。1186年1月ハインリヒ自分よりも10歳年上コンスタンツェ結婚、かつて反皇帝派都市筆頭格だったミラノサンタンブロージョ教会挙式した。この婚姻によって教皇領を挟む南北の二大国同盟を結ぶことになり、ローマ教会にとって危機的な状況となる。 1189年6月10日フリードリヒ第3回十字軍途上没するハインリヒは父の跡を継ぎ同年11月18日グリエルモ2世没する1184年婚姻時の取り決めでは、グリエルモ2世没後王国統治権コンスタンツェハインリヒ継承されることになっていた。しかし、コンスタンツェ縁組推進したパレルモ大司教グアルティエーロがグリエルモ2世続いて没し1189年12月に反ローマ帝国派の廷臣によってレッチェタンクレーディシチリア王擁立された。ハインリヒシチリア向かおうとするが、ザクセン・バイエルンの君主ハインリヒ獅子公亡命先イングランドから帰国したため、ハインリヒ獅子公への対処追われシチリアへの進軍阻まれる。1191年1月になってようやく、ハインリヒイタリアに向かうことができた。

※この「ローマ皇帝即位前」の解説は、「ハインリヒ6世 (神聖ローマ皇帝)」の解説の一部です。
「ローマ皇帝即位前」を含む「ハインリヒ6世 (神聖ローマ皇帝)」の記事については、「ハインリヒ6世 (神聖ローマ皇帝)」の概要を参照ください。

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