ドイツ駐在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 17:57 UTC 版)
1921年(大正10年)以降には、断続的にドイツのベルリンに駐在し、1933年以降はドイツの国民から絶大な支持を受け、政権を得ていた国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)上層部との接触を深めた。 当時、日本国外務省はナチス党とは距離を置く方針であり、独自の行動で同党とのネットワークを構築していた大島は、日独同盟の推進者となっていった。大島の外交思想は、同時期の駐イギリス特命全権大使であり、親英米派であった吉田茂とは対極であった。 その後日本と英米との関係が悪化する中、大島は親独派が多い陸軍中央と提携、防共協定(1936年締結)に走るなどドイツとイタリアとの友好関係強化を推進。その後駐ドイツ大使であった東郷茂徳を退け、1938年(昭和13年)自らが駐独大使に就任した。
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