ドイツ騎士団との確執
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 00:57 UTC 版)
1308年11月13日、グダニスクではヴワディスワフ1世 (ポーランド王)によってドイツ騎士団が招聘され、ブランデンブルク辺境伯とドイツ騎士団により管理された。植民地化にされた。 1343年にカリシュの和約(英語版)が結ばれ、騎士団がポーランド王国に賃料を支払うことでポーランド王からポメラニア地方がドイツ騎士団に貸与されることとなった。この地方の帰属問題はまだ残っていた。 グダニスクはドイツ騎士団の支配下で街とし近代化され経済成長し、国王による都市化促進政策の一環として、ユダヤ人もドイツ商人と一緒に招聘された。ドイツからの移民が増加し、 1361年にハンザ同盟の正式な貿易加盟都市となり、穀物(特に小麦)、木材、炭酸カリウム、タールその他ポーランドの森から産出されヴィスワ川の運送網を経由してやってくるさまざまな品物の輸出が促進される事になった。グダニスク市民は、ドイツ都市法のマクデブルク法による税や裁判制度などを理由にドイツ騎士団の支配を嫌っており、グダニスクを含むポメラニア地方やリトアニア大公国などに関する一連のトラブルが発端で1409年に勃発したポーランドとドイツ騎士団との戦争では、グダニスク市民はポーランド側に就いた。この戦争は1410年のグルンヴァルトの戦いにおけるポーランド王国の勝利によって終結した。グダニスクは以前からドイツ騎士団の支配を廃してポーランド王国へ帰属することを望んでおり、その望みがかなうことになった。しかし翌年に締結した第一次トルンの和約では、行政上の技術的理由によりポーランド王国は再びドイツ騎士団にグダニスクを賃貸しすることに決め、グダニスクは騎士団の支配下に戻った。
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