ドイツ革命と共産党の結成(1918年11月-12月)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 08:32 UTC 版)
「ローザ・ルクセンブルク」の記事における「ドイツ革命と共産党の結成(1918年11月-12月)」の解説
1918年11月4日に起きたキール軍港における水兵の反乱およびロシア革命時のソビエトに倣った「労働者・兵士協議会(レーテ)」の結成が引き金となってドイツ革命が勃発し、同9日に皇帝が廃位されると、USPDは勢力を拡大したSPDとともに共和政の新政府を樹立する(首班はエーベルト、革命後のヴァイマル共和国である)。 1918年11月9日にブレスラウの刑務所から釈放されたローザは、すでに釈放されていたリープクネヒトとともにスパルタクス団を再編し、11月18日には機関紙『Die Rote Fahne(赤旗)』を発刊した。同紙で書かれた最初の論文では、すべての政治犯に対する特赦と死刑制度の廃止を要求した。 一方、USPDら急進派を快く思わないエーベルトは軍部と手を組むことを選んでいた。この協定により、革命で崩壊しかけた国軍の残党や国家主義者、右翼らによる反革命義勇軍(フライコール)が創設され、やがて革命派に対する武力鎮圧が始まる。12月23日に左派の人民海兵団(ドイツ語版)が起こした反乱の鎮圧をめぐり、USPDはこれに強く抗議して連立政府から離脱する。 一方、1918年末にスパルタクス団はUSPDから再度分離し、その他の社会主義者や共産主義者のグループと連合。12月30日から翌1919年1月1日にかけて開かれた創設大会をもって、ついにローザとリープクネヒトを指導者とするドイツ共産党(KPD)が誕生する。ローザはのちにヴァイマル共和国議会となる全国憲法制定議会には反対していたものの、1月19日に予定されている議会選挙には参加を主張した。しかしこの主張は党内の支持を得られず、ドイツ共産党の選挙不参加が党大会において議決された。
※この「ドイツ革命と共産党の結成(1918年11月-12月)」の解説は、「ローザ・ルクセンブルク」の解説の一部です。
「ドイツ革命と共産党の結成(1918年11月-12月)」を含む「ローザ・ルクセンブルク」の記事については、「ローザ・ルクセンブルク」の概要を参照ください。
- ドイツ革命と共産党の結成のページへのリンク