マインツ大司教→レーゲンスブルク大司教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/29 02:09 UTC 版)
「選帝侯」の記事における「マインツ大司教→レーゲンスブルク大司教」の解説
ゲルマニア(ドイツ)における大書記官長。1356年の金印勅書で皇帝選挙の主催者とされ、選帝侯の筆頭に位置づけられると、以後 Erzkanzler durch Germanien は「ゲルマニアにおける大書記官長」から「神聖ローマ帝国の宰相」を指す語となった。また、皇帝選挙の際には最後に投票するよう定められており、それまでの投票で各候補者が同票の場合には、マインツ大司教が選挙結果を決めるようになっていた。
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