マインツの降伏条件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/20 06:39 UTC 版)
「マインツ攻囲戦 (1793年)」の記事における「マインツの降伏条件」の解説
マインツ市、要塞及び守備隊司令官ドワレ准将が提案した降伏条件は下記の通りである。 I. フランス軍はプロイセン国王陛下にマインツの町、全ての防衛建築を伴う要塞と付随する哨所を自然な状態で、下記の項目で留保された対象を除く全てのフランス製・外国製の大砲、備蓄弾薬・食糧とともに引き渡す。 II. 守備隊は軍人としての栄誉章を全て伴って撤収し、各隊員の私物の全てとともにその武器と荷物を携行する。-承認する。ただし守備隊が1年にわたって連合軍に敵対しない事、そして覆いを付けた荷車を伴う場合、プロイセン国王陛下に対し奉り、陛下が認めた時、それらの検査を行う権利を留保する事が条件である。 III. 守備隊は野砲と、それに付随する弾薬運搬車の携行を要求する。-却下する。しかし国王陛下はドイル准将に4ポンド砲2門並びにそれと同数の弾薬運搬車の携行を許可し給う。 IV. 司令部付及びそれ以外の士官、軍事委員、責任者その他、軍の業務のために雇用された全ての者と、そもそも守備隊に属する全てのフランス国民はその馬、荷車と財産を携行する。-承認する。 V. 守備隊は降伏の調印後、要塞に48時間留まる。そしてこの期間が最後の部隊の撤収に不十分であった場合、さらに24時間の延長を認める。-承認する。 VI. 町の司令官にはプロイセン国王が授けた通行証を携えた一人、もしくは複数の委任者を、軍の負債の返済に必要な資金を集めるべく派遣する事を許す。そしてこの負債が完済されるまで、もしくはその調停に十分な合意が得られるまで、守備隊は陛下の保護を得られる人質を提供する。-承認する。 VII. マインツの守備隊と、それに属する各職は撤収し次第、複数の隊列を整え、順次フランスへ向かう。全ての隊列は保護のため、国境までプロイセン軍の援護を受ける。ドワレ准将はフランス軍の食糧と宿泊先を確保するべく、司令部付士官と軍事委員を先行させる許可を得る。-承認する。 VIII. フランス軍の馬と荷車が、宿営の撤去や上記の項目に記されたその他の物品の搬送に不足している場合、それらを途中、現地で調達する。-承認する。 IX. 病人や、特に負傷者は生命を危険に晒さず陸路で搬送する事ができないため、水路でティオンヴィルやメスへ運び、これら名誉ある犠牲者に必要な注意を払うべくフランス国民の負担によって船を手配する。-承認する。 X. フランス軍守備隊の完全撤収より前に、現在市外に居るマインツ市民が市内に帰還する事は認めない。-承認する。 XI. 降伏が調印され次第、攻囲軍はその部隊をもって下記の哨所を占領できる。カール堡塁、異国堡塁(welsche Schanze)、エリザベーテン堡塁、ザンクト・フィリップス堡塁、ラ・ドゥブル・テナイユ(英語版)、リンゼンベルク、ハウプトシュタイン、マース堡塁、ペータースアウエ(ドイツ語版)並びにフランクフルトとヴィースバーデンへ通じる要塞の二つの門。また同軍はフランス軍の部隊と共にノイ門とライン川右岸の橋の終端を占領できる。-承認する。 XII. できるだけ速やかに武器庫の主任管理者、ドゥエー大佐、補任管理者、ラ・リボワシュール中佐、工兵指揮官ヴァラン中佐はプロイセン軍の砲兵指揮官と工兵指揮官に武器や図面など、戦時下において自らに責任がある物を引き渡す。-承認する。 XIII. 同様に、倉庫とその中の貯蔵品の返還に向けて1名の軍事委員を任命する。 追加条項: XIV 連合軍からの脱走兵は極めて厳格に引き渡すものとする。 1793年7月22日、マリーエンボルン(ドイツ語版)にて。 署名:カルクロイト伯 署名:ドワレ
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